
お笑い芸人が舞台に登場する際、会場の空気を一変させる「出囃子(でばやし)」は、ファンにとっても楽しみの一つです。しかし、近年ではオンライン配信の普及に伴い、出囃子が突然無音になったり、別の曲に差し替えられたりする光景をよく目にするようになりました。そこには、複雑に絡み合う著作権という大きなルールが存在しています。
この記事では、芸人にとって欠かせない出囃子と著作権の関係について、初心者の方にも分かりやすく解説します。劇場、テレビ、YouTubeといった媒体ごとのルールの違いや、なぜ最近はオリジナル曲を作る芸人が増えているのかといった裏事情まで、お笑いファンなら知っておきたい情報を深掘りしていきます。
著作権の仕組みを正しく理解することで、お笑いライブの裏側にある苦労や、芸人たちのこだわりがより深く見えてくるはずです。音楽と言葉のプロたちが織りなすエンターテインメントを、法律という視点からも楽しんでみましょう。それでは、出囃子にまつわる権利の世界をご案内します。
お笑いの世界において、出囃子は単なるBGMではなく、芸人のキャラクターやネタの温度感を伝える重要な装置です。しかし、そこで流れる音楽は誰かが作った「著作物」であり、法律によって守られています。まずは、なぜ自由に使えないのかという基本的な仕組みから見ていきましょう。
出囃子(でばやし)とは、もともと落語や寄席において、演者が高座に上がる際に三味線や太鼓で演奏される音楽を指していました。現代の漫才やコントにおいては、洋楽や邦楽といった既存のヒット曲、あるいはオリジナルの楽曲が、登場時のテーマソングとして使用されています。
この数秒から数十秒の音楽は、観客の期待感を高め、芸人が舞台に出るためのスイッチとしての役割を果たします。例えば、M-1グランプリで流れるファットボーイ・スリムの「Because We Can」は、今や大会そのものの象徴となっています。このように、音楽は芸人のイメージと強く結びついているのです。
しかし、既存の楽曲を使う場合、そこには「作詞家」「作曲家」「演奏家」「レコード会社」といった多くの権利者が関わっています。勝手に曲を流すことは、他人の作品を無断で借りている状態になりかねないため、適切な手続きが必要不可欠となるのです。
著作権法は、音楽や小説、絵画などの創作物を作った人の権利を守るための法律です。音楽の場合、大きく分けて「著作権」と「著作隣接権」という二つの権利が存在します。これらが複雑に絡み合うことで、出囃子の使用には制限がかかっています。
著作権は、主に作詞家や作曲家が持つ権利です。彼らは自分の作ったメロディや歌詞がどのように使われるかを決める権利を持っています。一方で、著作隣接権は、その曲を演奏した歌手や、音源を制作したレコード会社が持つ権利です。CDやデジタル配信の音源をそのまま流す場合、この両方の許諾が必要になります。
芸人が「この曲は自分たちの雰囲気にぴったりだ」と思って選んだとしても、権利者の許可なく不特定多数の場所で流すことはできません。特にお金を払って観客を入れるライブや、広告収入が発生するメディアでは、著作権のルールを厳格に守らなければならないのです。
JASRACは、日本国内の多くの作詞家や作曲家から著作権の管理を委託されている団体です。利用者がJASRACに申請し、定められた使用料を支払うことで、膨大な数の管理楽曲をスムーズに使用できる仕組みを作っています。
芸人が劇場で出囃子を流す際、一曲ごとにアーティスト本人へ電話をして許可を取るのは現実的ではありません。そこでJASRACが窓口となり、一括して手続きを引き受けています。利用者はJASRACに使用料を払い、そのお金が最終的にクリエイターへと分配されるのです。
ただし、JASRACが管理しているのは「著作権(作詞・作曲)」の部分が中心であり、CD音源そのものを使うための「著作隣接権」については、別にレコード会社などから許可を得る必要があるケースも多いです。この「二階建て」の権利構造が、出囃子の利用を難しくしている要因の一つと言えます。
出囃子を流す場所によって、著作権の扱いは劇的に変わります。劇場では流せるのに、テレビでは差し替えられ、YouTubeでは無音になる。こうした現象がなぜ起こるのか、媒体ごとの特性を比較して理解を深めましょう。
吉本興業の劇場をはじめとする多くの常設劇場では、JASRACなどの著作権管理団体と「包括契約」を結んでいます。これは、劇場側が年間の使用料を一括して支払うことで、管理されている楽曲を何度でも、自由に使用できるという契約形態です。
この仕組みのおかげで、若手芸人からベテランまで、自分の好きな既存曲を出囃子として選ぶことができます。ライブに来た観客が耳にする出囃子が一番「本来の姿」であると言えるのは、劇場という空間が法律的にしっかりと守られたライセンスの下で運営されているからです。
ただし、この包括契約はあくまで「その場での演奏(再生)」に限られます。公演の様子をカメラで撮影し、後にDVDとして販売したり、ネットで動画配信したりする場合は、この包括契約の範囲外となってしまうため、改めて別の手続きや支払いが発生することになります。
テレビ番組における音楽利用も、放送局とJASRACの包括契約によって比較的柔軟に行われています。バラエティ番組で芸人が登場する際、おなじみの出囃子がそのまま流れるのは、テレビ局が膨大な著作権料を支払っているおかげです。
しかし、テレビには「原盤権」という別の壁が存在します。特定のアーティストのCD音源をそのまま流す場合、放送に関しては特例で認められることが多いですが、海外の楽曲や一部の権利に厳しいアーティストの曲は、放送後の見逃し配信などで「権利上の都合により音声を差し替えています」となることがあります。
また、番組がDVD化される際には、音楽の使用料が非常に高額になるため、全く別のフリー音源に差し替えられることが珍しくありません。昔の番組を再放送する際に出囃子が変わっていると違和感を感じるかもしれませんが、それは現在の権利状況に合わせた苦肉の策なのです。
近年、最も大きな問題となっているのが有料のオンラインライブ配信です。劇場の包括契約は「リアルな会場」のみに適用されるため、ネット配信には「公衆送信権」という別の権利処理が必要になります。これが非常に厄介なハードルとなります。
JASRACへの手続きは比較的スムーズですが、問題はレコード会社が持つ「著作隣接権(原盤権)」です。既存のCD音源をネット配信に載せるためには、個別にレコード会社の許諾を得る必要があり、これには多額の費用や膨大な時間がかかります。零細なライブ主催者には到底不可能な作業です。
そのため、配信チケットを売るようなライブでは、芸人本来の出囃子を流すことができず、劇場側が用意した「著作権フリーの楽曲」に差し替えられることになります。ファンが「配信だと出囃子が違って寂しい」と感じる背景には、こうしたデジタルの権利処理の難しさが潜んでいるのです。
配信ライブが当たり前になった現在、多くの芸人が「自分たちだけのオリジナル出囃子」を持ち始めています。既存の有名曲を使わずに、あえてゼロから楽曲を制作するのには、単なるかっこよさ以上の実利的な理由があります。
最大の理由は、オンライン配信やYouTubeへの動画投稿をスムーズに行うためです。自作の曲や、権利者から直接許可を得たオリジナルの楽曲であれば、配信の際に出囃子がカットされたり、無音になったりする心配がありません。
例えば、ラニーノーズのように自分たちでバンド活動をしている芸人は、自分たちのオリジナル曲を出囃子にしています。これにより、劇場の出囃子がそのまま配信やYouTubeでも使用でき、ファンに対して一貫したブランドイメージを提供することが可能になります。
せっかくの登場シーンで音が消えてしまうと、ネタの始まりとしての勢いが削がれてしまいます。視聴者に最高の状態でネタを届けるために、権利関係をクリーンにしたオリジナル楽曲は、現代の芸人にとって非常に強力な武器となっているのです。
オリジナル出囃子は、芸人の「ブランディング」にも大きく寄与します。既存のヒット曲を使う場合、その曲のイメージを借りることになりますが、オリジナル曲であれば、自分たちの漫才やコントのスタイルに合わせた完璧な一曲を作ることができます。
テンポ、楽器の構成、盛り上がるタイミングなど、ネタへの導入として最適化された音楽は、芸人の個性をより際立たせます。また、ファンがその曲を聞いた瞬間に「あ、あのコンビだ!」と即座に認識できる独自のアイデンティティにもなります。
最近では、音楽に詳しい後輩芸人や、お笑い好きのミュージシャンに制作を依頼するケースも増えています。こうした「笑い」と「音楽」のコラボレーションによって、劇場全体のエンターテインメント性が向上しているという側面も見逃せません。
将来的に自分たちの単独ライブをDVD化したり、世界に向けて配信したりすることを考えると、著作権の心配がない楽曲を持っていることは大きな安心材料になります。既存曲の場合、将来的に権利関係が変化して使えなくなるリスクもゼロではありません。
また、TikTokやInstagramのリール動画などで自分たちの登場シーンを使いたい場合も、オリジナル曲であれば著作権侵害の警告を受けることなく、自由にプロモーションに活用できます。SNS時代において、音源の自由度はそのまま宣伝力の差につながるのです。
オリジナル出囃子を作ることは、初期費用や手間こそかかりますが、長期的に見れば活動の幅を広げるための「先行投資」と言えます。権利に縛られず、自由に表現を追求できる環境を自分たちで作るという姿勢が、現代の芸人たちに広がっています。
芸人個人がYouTubeチャンネルを開設したり、SNSにライブ動画をアップしたりする機会が増えています。ここで既存の出囃子をそのまま使ってしまうと、思わぬトラブルに巻き込まれる可能性があるため、細心の注意が必要です。
YouTubeには「Content ID」という、アップロードされた動画内の音楽や映像を自動的にスキャンし、権利者のデータベースと照合する強力なシステムがあります。これによって、既存のCD音源を出囃子として使っている動画は、即座に検知されます。
検知されると、「著作権の申し立て」という通知が届きます。多くの場合、動画がすぐに削除されることはありませんが、その動画から発生する広告収入はすべて音楽の権利者に流れるようになります。つまり、芸人がどれだけ面白いネタを投稿しても、自分の収益にはならないという事態が起こります。
さらに、権利者の意向によっては、特定の国での視聴が制限されたり、最悪の場合は動画そのものが削除されたりすることもあります。削除が繰り返されるとチャンネル自体が停止されるリスクもあるため、安易に既存曲を流し続けるのは非常に危険な行為です。
既存の曲のメロディを使って歌詞だけを変えた「替え歌」や、曲の一部を切り取って加工する「サンプリング」も、著作権の侵害にあたる可能性があります。特に出囃子で有名な曲のイントロだけを使うようなケースも、権利者の許可がない限りグレーゾーンです。
著作権には「同一性保持権」というものがあり、作者の意図に反して勝手に内容を変えることを禁じています。替え歌は笑いを生む手法の一つですが、それをネット上で公開し、収益を得るとなると、原曲の作者から不快感を示されたり、法的な措置を取られたりするリスクが伴います。
「少し変えているから大丈夫」「みんなやっているから」という判断は、プロの芸人としては避けるべきでしょう。ネットの世界では、一度公開されたものは半永久的に残るため、後から問題にならないようクリーンな音源を使用することが鉄則です。
YouTubeなどのプラットフォームは、JASRACと包括契約を結んでいるため、「自分で歌ったもの」や「自分で演奏したもの」であれば、楽曲を使用できる場合があります。しかし、「CD音源をそのまま流すこと」はレコード会社の権利(原盤権)に触れるため、包括契約の対象外となる点に注意が必要です。
既存の出囃子が使えない場合の解決策として、YouTubeが提供している「オーディオライブラリ」や、著作権フリーの音楽配布サイトを活用する芸人が増えています。これらは規約の範囲内であれば、収益化された動画でも安全に使用することが可能です。
また、最近では「Audiostock」などの音源販売プラットフォームで、数千円から数万円程度で高品質な楽曲を購入するケースも見られます。これらは一度購入すれば追加料金なしで商用利用できるものが多く、コストを抑えつつもオリジナリティを出したい芸人にとって便利なサービスです。
ただし、フリー素材であっても「クレジット表記(作者名の記載)が必要」「加工禁止」などのルールが設けられていることがあります。使用する前には必ず利用規約を熟読し、ルールを遵守することが、クリエイターとしての最低限のマナーです。
芸人自身やライブ主催者が、音楽の権利関係でつまづかないためには、正しい知識に基づいた準備が必要です。ここでは、トラブルを未然に防ぎ、ファンも安心して楽しめる環境を作るための具体的なアクションを紹介します。
出囃子として使いたい曲が決まったら、まずはその曲の権利を誰が持っているかを調べることから始めます。JASRACの作品データベース検索サービス「J-WID」を使えば、その曲がJASRAC管理なのか、あるいは別の団体(NextToneなど)が管理しているのかを誰でも無料で確認できます。
また、外国の楽曲の場合は、日本の管理団体が信託を受けているかどうかで手続きの難易度が変わります。もし、どこにも登録されていない「完全個人管理」の曲であれば、アーティスト本人や所属事務所に直接コンタクトを取る必要があります。
この確認作業を怠り、「有名な曲だからどこかが管理しているだろう」と高を括っていると、後から予想外の権利主張を受けてパニックになることがあります。プロとして舞台に立つ以上、使用する道具(音楽)の由来を知ることは基本中の基本です。
若手芸人の場合、自分で全ての権利処理を行うのは非常に困難です。まずは所属している事務所のマネージャーや、出演する劇場の制作担当者に「この曲を出囃子に使いたいのですが、配信や動画投稿でも大丈夫ですか?」と相談してみましょう。
大きな事務所であれば、過去の事例に基づいた明確なガイドラインを持っているはずです。「劇場のライブならOKだが、YouTubeに上げるならこのフリー音源に差し替えてくれ」といった具体的な指示をもらうことができます。独断で進めず、組織としての判断を仰ぐことが、自分の身を守ることにつながります。
また、ライブの主催者側も、出演芸人の出囃子リストを事前にチェックし、権利関係がクリアされているかを確認するフローを設けることが望ましいです。特にオンライン配信を伴うライブでは、このチェックの有無がイベントの成功を左右すると言っても過言ではありません。
最近では、芸人が自ら作曲家に依頼してオリジナル出囃子を作る様子をYouTubeで企画化するケースもあります。制作過程をコンテンツにすることで、ファンに新曲への愛着を持ってもらいつつ、権利問題を解決するという一石二鳥のアイデアです。
著作権を守るということは、突き詰めれば「その曲を作った人への敬意を払うこと」に他なりません。芸人が自分のネタをコピーされたくないと思うのと同じように、ミュージシャンも自分の楽曲が不適切な形で使われることを望んでいません。
出囃子は、ミュージシャンの魂がこもった作品を、芸人の魅力を引き出すために「借りている」状態です。その感謝の気持ちがあれば、自ずとルールを無視した使い方はできなくなるはずです。適切な対価を支払い、ルールの中で最大限に活用することが、エンターテインメント業界全体の健全な発展に寄与します。
ファンもまた、配信で出囃子が差し替えられているのを見た時に、「ケチっている」と思うのではなく、「権利を守るための誠実な対応なんだな」とポジティブに捉える視点を持つことが大切です。作り手同士が尊重し合う文化こそが、素晴らしい笑いと音楽を生み出す土壌となります。
この記事では、芸人の出囃子と著作権という、お笑い界の重要なテーマについて解説してきました。最後に、主要なポイントを整理しておきましょう。
まず、劇場でのライブ演奏については、多くの施設がJASRACと包括契約を結んでいるため、既存の楽曲を比較的自由に使うことが可能です。これが、私たちが劇場の客席で最も「本来の出囃子」を楽しめる理由です。
一方で、テレビ放送やインターネット配信、DVD制作においては、著作権(作詞・作曲)だけでなく、レコード会社などが持つ「著作隣接権(原盤権)」の壁が立ちふさがります。特に配信ライブでは、既存曲を流すことが難しく、フリー音源への差し替えが一般的となっています。
こうした制約を乗り越えるために、自分たちだけの「オリジナル出囃子」を制作する芸人が増加しています。これは単なるトラブル回避だけでなく、独自のブランディングや、SNSを活用したプロモーションにおいて非常に有利に働きます。
【記事のまとめ】
・出囃子は芸人のイメージを決定づける重要な著作物である。
・劇場ライブでは包括契約により既存曲が使えるが、ネット配信は別ルール。
・CD音源を配信で使うにはレコード会社の許可が必要で、ハードルが高い。
・オリジナル曲を作ることは、配信時代の芸人にとって強力な武器になる。
・著作権を守ることは、音楽クリエイターへの敬意を払うことである。
お笑いをより深く楽しむために、今後は芸人が舞台に登場する際の「音」にも注目してみてください。その曲が既存のヒット曲なのか、それともこだわりのオリジナル曲なのか。その背景にある権利関係や芸人の思いを想像することで、ネタの面白さがさらに何倍にも膨らむかもしれません。