2023年のM-1グランプリで見事に王者に輝いた令和ロマン。彼らの漫才は、これまでの「ボケてツッコむ」という伝統的な形式を踏襲しつつも、圧倒的な情報量と緻密な分析に基づいた現代的な構成が最大の特徴です。お笑いファンだけでなく、多くのプロ芸人からも「漫才の概念をアップデートした」と高く評価されています。
この記事では、令和ロマンの漫才構成を図解のような分かりやすさで詳しく解説します。ボケの高比良くるまさんが提唱する独自の理論や、ツッコミの松井ケムリさんが果たす重要な役割を深掘りし、なぜ彼らのネタがこれほどまでに爆発的な笑いを生むのか、その設計図を明らかにしていきましょう。
令和ロマンの漫才を語る上で欠かせないのが、その圧倒的な「思考量」です。彼らのネタは、単に面白いフレーズを並べるのではなく、観客の心理や会場の空気感を緻密に計算して構築されています。まずは、彼らの漫才構成の根幹を成す3つの大きな特徴について詳しく見ていきましょう。
令和ロマンの漫才の真骨頂は、ボケのくるまさんが「パラサイト(寄生)」と呼ぶ手法にあります。これは、その場の観客の層や前の出番の芸人のウケ具合、さらには会場の室温や照明といった細かな環境に自分たちのネタを適応させる技術のことです。
あらかじめガチガチに固めた台本を披露するのではなく、冒頭の数秒から数十秒のやり取りを通じて、その日の観客が「どの程度の熱量で笑いを求めているか」を瞬時に判断します。そして、ネタの導入部分を柔軟に変更し、観客の心理に入り込んでいくのです。この柔軟な構成力が、どんな状況でも確実に爆笑をさらう強みとなっています。
また、彼らはメタ視点(自分たちを客観的に見る視点)を非常に多用します。例えば「今、トップバッターだからお客さんが緊張してますね」といった発言をあえてネタの中に取り入れることで、観客との距離を一気に縮めます。このように、会場全体を巻き込んでいく設計図こそが、令和ロマン流の漫才構成の第一歩と言えるでしょう。
現代の漫才、特にM-1グランプリのような競技漫才において重要視される「手数の多さ」において、令和ロマンは群を抜いています。しかし、彼らの場合は単にボケの数が多いだけではありません。言葉の選択肢、動きのキレ、そして背景にあるカルチャーへの言及など、1秒間に詰め込まれる情報の密度が非常に濃いのが特徴です。
くるまさんのボケは、一つのテーマから枝分かれするように次々と新しい話題やボキャブラリーが飛び出します。これにより、観客は休む暇もなく笑いの波にさらわれることになります。一方で、その情報の濁流をケムリさんが冷静かつ的確なツッコミで整理するため、観客が置いてきぼりになることはありません。
この「情報の過多」と「情報の整理」のバランスが絶妙に保たれている点が、彼らの構成の凄みです。若者向けのサブカルチャーから、年配層にも伝わるベタな表現までを網羅しており、ターゲットとする観客層を全方位に広げるための工夫が随所に散りばめられています。情報の多さが、飽きさせない展開を生み出しているのです。
くるまさんは、お笑いの構造を「主張(ベタ)」「批判(シュール)」「批判の批判(メタ)」の3段階で分析しています。令和ロマンの漫才構成は、この3つの要素が複雑に絡み合いながら進行していきます。まずは王道なボケ(主張)を見せ、それに対してひねった角度からツッコミやボケ(批判)を入れ、最終的にはそれを俯瞰して笑いに変える(メタ)という流れです。
この循環があることで、ネタに深い立体感が生まれます。単調なボケの繰り返しではなく、常に視点が切り替わっていくため、観客は常に新鮮な驚きを感じることができます。特に「今のボケはちょっと古かったですね」といった、自分たちのネタ自体を批評するメタ的なボケは、知的な笑いを好む層にも強く刺さります。
こうした理論に基づいた構成は、感覚だけで作られたネタとは一線を画す「強固な再現性」を持っています。どのような環境においても、この3段階のステップを踏むことで笑いを増幅させることができるのです。彼らの漫才が非常に論理的であると言われる理由は、この緻密な理論構成に裏打ちされているからに他なりません。
令和ロマンのネタは一見するとアドリブのように自由奔放に見えますが、実は非常にしっかりとしたプロット(筋書き)が存在します。彼らが4分間の漫才の中でどのように笑いを積み上げ、最後の大爆笑へと繋げているのか、その構成の流れを図解的なイメージで分析していきましょう。
【令和ロマンの漫才構成・標準タイムライン】
| フェーズ | 時間配分 | 主な役割と構成要素 |
|---|---|---|
| 導入・ツカミ | 0:00〜0:30 | 会場の空気を把握し、観客との距離をゼロにするメタ発言。 |
| 設定提示 | 0:30〜1:30 | メインテーマの提示。ベタなボケを連発し、世界観に引き込む。 |
| 展開・逸脱 | 1:30〜3:00 | 設定から大きく逸脱。くるまの憑依芸や過剰なボケでカオスを生む。 |
| 収束・クライマックス | 3:00〜4:00 | 伏線回収や畳み掛け。最高潮の熱量でボケを連打し、一気に終結。 |
令和ロマンの漫才において、最も重要かつ独創的なのが冒頭の30秒間です。彼らはサンパチマイクの前に立った瞬間、まず自分たちが置かれている状況を言葉にします。例えばM-1の決勝であれば、審査員の顔ぶれや前のコンビのウケ方、あるいは自分たちの衣装について触れることもあります。
これは単なるフリートークではなく、観客に「私たちは皆さんと味方ですよ」「今の状況を共有していますよ」というメッセージを送る極めて戦略的な構成要素です。このプロセスを経て観客の警戒心を解き、笑いやすい「地熱」を上げた状態にしてから、本来のネタの設定へと入っていきます。
この「状況説明」を構成に組み込むことで、ネタの内容が少々複雑であっても、観客はスムーズについていくことができるようになります。ツカミの段階で観客との信頼関係を築く手法は、トップバッターという不利な状況さえも味方に変える、彼らならではの設計技術と言えます。
ネタの中盤に入ると、令和ロマンは設定された物語の本筋からあえて大きく脱線(逸脱)することが多々あります。例えば「ドラマのワンシーンを再現する」という設定だったはずが、いつの間にかくるまさんが全く別のキャラクターを演じ始めたり、メタな解説を始めたりする展開です。
この「脱線」こそが、令和ロマンの漫才に予測不能な面白さを与えるポイントです。観客が「次はこう来るだろう」と予想する展開を裏切り、全く別の角度からボケを放り込むことで、笑いの振幅を大きくします。この時、ケムリさんが「何の話をしてるんだよ!」と適切に軌道修正を試みることで、漫才としての形が保たれます。
この逸脱のフェーズでは、くるまさんの圧倒的なボキャブラリーと表現力が爆発します。一見バラバラに見えるボケの数々も、実は計算されたリズムで配置されており、観客を飽きさせない「情報のシャワー」として機能します。本筋に戻るタイミングも非常に洗練されており、カオスから秩序への復帰が更なる笑いを生みます。
後半からラストにかけては、それまで撒いてきたボケの種を回収しつつ、スピードと熱量をさらに高めていきます。前半で一度見せたボケを形を変えて天丼(繰り返し)にしたり、言葉の響きだけで笑わせるような手数の多いボケを連打したりすることで、会場全体のボルテージを最高潮まで引き上げます。
ここで重要なのは、構成の密度を後半にいくほど高めている点です。前半は説明や状況設定に時間を割きますが、後半は理屈抜きのパワーで押し切ります。これにより、観客は論理的な笑いから感情的な大爆笑へと移行させられ、ネタが終わった瞬間に強い満足感を得ることができるのです。
また、彼らの漫才は「終わり方」も非常にスマートです。ダラダラと続けることなく、最高の盛り上がりを見せた瞬間にケムリさんが「もうええわ!」と潔く締めます。このスピード感あふれる終結も、令和の漫才師らしい、無駄を削ぎ落とした構成の美学が感じられる部分です。
令和ロマンの漫才構成における中心人物は、間違いなくボケの高比良くるまさんです。彼は単に面白いことを言う「プレイヤー」である以上に、ネタ全体を俯瞰してコントロールする「監督」や「アナリスト」の側面を強く持っています。くるまさんが漫才の中で果たしている役割を深掘りしましょう。
くるまさんは、自他共に認める「お笑いオタク」であり、膨大な過去の漫才データを分析しています。M-1グランプリの傾向、歴代王者の勝ち筋、観客の反応パターンなどを数値化し、それを自分たちのネタ作りに還元しています。彼の頭の中には、状況に応じた無数の「笑いのアルゴリズム」が存在しているかのようです。
例えば、あるフレーズがウケなかった場合、彼は即座にその原因を分析し、次のステージでは言い回しや間(ま)をミリ単位で調整します。この「修正力」こそが、令和ロマンの漫才が高い打率を誇る理由です。構成案を作る段階でも、自分たちの主観だけでなく「客席からどう見えるか」という徹底した客観性を重視しています。
こうした戦術家としての姿勢は、ネタの細部にも表れています。どのタイミングで大きな声を出すか、どの場面で動かずに喋るかといった緩急の付け方が、観客の集中力を切らさないように計算し尽くされているのです。彼の分析力は、漫才という生モノの芸に、論理という名の背骨を通しています。
分析的な側面を持つ一方で、くるまさんの最大の武器はその「憑依(ひょうい)芸」にあります。ネタの中で様々なキャラクターを演じ分ける際の演技力は、もはや漫才師の域を超え、演劇的な深みすら感じさせます。おじいさんから女子高生、架空のプロデューサーまで、一瞬でその人物になりきる姿は圧巻です。
この憑依芸が、情報の多い彼らの漫才において「視覚的な分かりやすさ」を担保しています。難しい言葉を使っていても、くるまさんの表情や動きが面白ければ、子供から大人まで直感的に笑うことができます。論理的な構成に、この身体的なパフォーマンスが加わることで、令和ロマンの漫才は最強のエンターテインメントへと昇華されます。
また、演じている最中にも「今、自分はこのキャラを演じています」というメタな視点を忘れないのが彼流です。キャラになりきりながらも、どこかで冷めた自分を残しておくことで、過剰になりすぎない絶妙なバランスを保っています。この「熱さと冷静さ」の同居が、くるまさんのボケを唯一無二のものにしています。
慶應義塾大学出身という知性派の顔も持つくるまさんは、非常に豊富な語彙力を誇ります。一般的な漫才ではあまり使われないような専門用語や、流行の最先端を行く言葉を、違和感なくボケの中に組み込んでいきます。このワードセンスが、彼らの漫才に「新しさ」と「知的興奮」を付加しています。
しかし、彼は単に知識をひけらかすことはしません。あえて難しい言葉を使った後に、それを自ら台無しにするような「外しの美学」を持っています。インテリジェンスを感じさせた直後に、ものすごく下品なことやバカバカしいことを言うギャップが、観客の爆笑を誘う構成上のアクセントになっています。
また、彼のボケは「間(ま)」の取り方が非常に独特です。あえて言葉を詰め込みすぎて、観客が処理しきれなくなるギリギリのラインを攻めたり、逆に意外なところで長い沈黙を作ったりします。こうした言葉と間の操作術は、彼が持つ膨大な知識と経験の賜物であり、漫才の構成に深みを与える重要な要素です。
奔放なボケを見せるくるまさんを支え、令和ロマンの漫才を成立させているのが、ツッコミの松井ケムリさんです。彼の存在なくして、あの複雑な構成は成り立ちません。ケムリさんのツッコミは、単なるリアクションではなく、ネタの完成度を高めるための「精密な調整装置」としての役割を担っています。
情報量が多く、展開が速い令和ロマンの漫才では、観客が「今、何に対して笑えばいいのか」を見失うリスクがあります。そのリスクを回避しているのが、ケムリさんの「翻訳」とも言えるツッコミです。彼はくるまさんが放った難解なボケや飛躍した展開を、瞬時に噛み砕いて観客に提示します。
ケムリさんのツッコミは、声の通りが非常に良く、滑舌も完璧です。低音で安定感のある声質は、くるまさんの高めのトーンと見事なコントラストを成し、漫才全体にリズム感を与えています。彼が「何を言っているんだ!」と言うだけで、複雑な設定が整理され、観客は安心して笑いの波に乗ることができるのです。
まさに、彼はカオスな笑いの中を導くガイド役と言えるでしょう。ボケに対して「それは〇〇っていうことだろ?」といった要約を挟むことで、ネタの構成を論理的に繋ぎ止めています。この「分かりやすさの補填」こそが、幅広い層に支持される令和ロマンの漫才の秘訣です。
くるまさんは、その日の空気に合わせて頻繁にネタを変えたり、アドリブを挿入したりします。この予測不能なボケに対応するためには、並外れた柔軟性と信頼関係が必要です。ケムリさんは、どんなに無茶なボケが飛んできても、動じることなくそれを受け止め、最適な言葉で返します。
彼は「くるまが何をしても、自分が何とかする」という圧倒的な受容体として存在しています。この安心感があるからこそ、くるまさんはステージ上で最大限の自由を謳歌し、大胆な構成の変更を試みることができるのです。ケムリさんのツッコミは、くるまさんの創造性を引き出すための「セーフティネット」でもあります。
また、彼はあえて「突っ込まない」という選択をすることもあります。くるまさんが一人で暴走している際、あえて呆れた顔で静観することで、その状況の滑稽さを際立たせます。この「引き算の技術」も、構成の緩急を作る上で非常に重要な役割を果たしています。
【補足】ケムリの「受け」の美学
ケムリさんのツッコミは、自分が目立つことよりも「ネタが最も面白くなる瞬間」を作ることを最優先しています。これは、大学時代からのコンビ歴と、くるまさんの才能を誰よりも信じているからこそ成せる業です。彼の「受け」の技術が、令和ロマンの漫才を品格のあるものにしています。
漫才には制限時間があります。特に賞レースでは、数秒のオーバーが命取りになることもあります。令和ロマンのようにアドリブ性の高いコンビにとって、時間管理は極めて困難ですが、その重責を担っているのがケムリさんです。彼はくるまさんのノリを尊重しつつも、ネタの進捗状況を常に把握しています。
ネタが盛り上がりすぎて時間が押し気味になった場合、彼はツッコミの間を詰めたり、次の展開へ促すキーワードをさりげなく入れたりして調整を行います。逆に、時間が余りそうなときは、くるまさんを泳がせてボケを増やさせるような間を作ります。この「呼吸」のような時間操作が、完璧な4分間を作り上げます。
観客には気づかれないような細かな調整の積み重ねが、ネタの完成度を支えています。ケムリさんは、漫才という楽曲を指揮するコンダクター(指揮者)のような存在です。彼の精緻なリズムキープによって、令和ロマンの構成は最後まで崩れることなく、美しい余韻を残して幕を閉じます。
令和ロマンの構成力が最も鮮烈に示されたのは、やはり2023年のM-1グランプリ決勝でしょう。彼らはこの日のために、ただネタを磨くだけでなく、大会全体を「攻略」するための壮大な戦略を立てていました。その内幕を知ることで、彼らの構成力の凄まじさがより明確になります。
M-1において、トップバッターは圧倒的に不利とされてきました。しかし、令和ロマンは「もし1番を引いたら、大会を自分たちの色に染めてやろう」と考えていました。実際に1番くじを引いた瞬間、彼らは用意していた4つのネタの中から、最も会場の緊張を解きほぐせる「ドラマ」のネタを選択しました。
このネタの導入部では、あえて長い時間をかけてメタ的なツカミを行いました。審査員や会場の空気に触れ、自分たちが緊張していないことを見せつけることで、重苦しかった会場を「笑っていい雰囲気」へと一変させたのです。この判断こそが、彼らを優勝へと導いた最大の要因と言っても過言ではありません。
さらに、ネタの中身も「誰もが知っているドラマのベタな展開」を軸にしつつ、くるまさんのキャラ芸を爆発させることで、審査員に強烈なインパクトを残しました。トップバッターでありながら、まるでトリを務めているかのような余裕を感じさせる構成は、まさに戦略の勝利でした。
最終決戦に進出した彼らが選んだのは、「吉本興業」という自分たちの所属先をテーマにした、非常にメタ要素の強いネタでした。ファイナリストが最後の大舞台で、事務所の内部事情や自分たちのプロモーションを自虐的に語るという、かつてない挑戦的な構成を選んだのです。
このネタは、審査員や観客が「お笑いに詳しい」ことを前提とした、高度な知略に基づいています。事務所に対する皮肉を交えながらも、最終的には圧倒的な熱量のボケで笑いに変えていく姿は、まさに令和ロマンにしかできない芸当でした。彼らは自分たちの「知的なイメージ」と「バカバカしい動き」を融合させ、完璧なエンディングを描き切りました。
この選択には、多くのリスクもありました。しかし、彼らは「自分たちが最も得意とするメタの視点こそが、最後の一押しになる」と確信していたのでしょう。結果として、その独自性が高く評価され、接戦を制してチャンピオンの座を射止めました。戦略と構成が合致した歴史的な瞬間でした。
【ヒント】令和ロマンのネタ選びの基準
彼らは決勝に際して、ネタを「1. 知名度重視」「2. 技術アピール」「3. 爆発力特化」「4. メタ視点全開」の4つのカテゴリーで準備していたと言われています。その場の状況に合わせて最適な「札」を切る力こそが、彼らの強さの本質です。
令和ロマンの戦略は、単なるマニア向けの技術に留まりませんでした。彼らの構成の奥底には、お笑いをあまり見ない層でも楽しめる「普遍的な面白さ」が常に流れています。動きの面白さ、声の心地よさ、そして誰もが共感できる日常の延長線上にあるボケなど、間口の広さが徹底されています。
彼らは自分たちを「インテリ芸人」という枠に閉じ込めず、時に泥臭く、時に全力でふざけることで、親しみやすさを演出しています。この「ギャップ」を構成の中に組み込むことで、知的でありながら嫌味を感じさせない、稀有なバランスの漫才を確立しました。
M-1での優勝は、そんな彼らの総合力の結晶でした。緻密な分析と、それを表現するための高い技術、そして何より「お笑いを心から楽しむ姿勢」が、最高の構成案を作り上げたのです。令和ロマンが見せたこの戦略は、今後の漫才界における一つの教科書となっていくことでしょう。
令和ロマンの漫才構成を紐解いていくと、そこには「感性」と「論理」が高い次元で融合した、新しい時代の設計図が見えてきました。彼らは単に面白いだけではなく、なぜ面白いのかを自ら解析し、それを誰にでも伝わる形に再構築して届けることができる、極めて知性的なコンビです。
【令和ロマンの構成を支える要点まとめ】
・パラサイト戦略:会場の空気や状況に寄生し、導入を柔軟に変更する適応力。
・情報の高密度化:ボケの数だけでなく、ワードセンスや演技力を1秒単位で凝縮。
・主張・批判・メタの循環:ベタな笑いからメタな批評までを網羅する立体的な構造。
・最強の両輪:戦術家・くるまと、調整役・ケムリという完璧な役割分担。
・徹底した客観性:常に観客の視点を意識し、分析に基づいたネタ選びと修正を行う姿勢。
彼らの登場によって、漫才は「職人芸」としての側面を保ちつつ、より「戦略的な競技」としての深みを増しました。しかし、どれほど理屈を積み重ねても、最後は「劇場を爆笑させる」という芸人としての本能を最も大切にしている点に、彼らの真の魅力があります。
令和ロマンが描き出す漫才の設計図は、これからもアップデートされ続け、私たちに見たことのない笑いを届けてくれるはずです。次に彼らがどのような構成で私たちの予想を裏切ってくれるのか、その一挙手一投足から目が離せません。