唯一無二の言語センスとシュールな世界観で、お笑いファンから熱烈な支持を集めるAマッソ。ネタ作りを担当する加納さんと、愛嬌抜群の村上さん(現在は「むらきゃみ」に改名)の二人は、実は小学校時代からの長い付き合いを持つ幼馴染です。
今や賞レースの常連となり、テレビやラジオ、執筆活動など多方面で活躍する彼女たちですが、その原点は大阪の小さなコミュニティにありました。なぜ二人はコンビを組むことになったのか、そしてプロの道を選んだきっかけは何だったのでしょうか。
この記事では、Aマッソ加納さんと村上さんの出会いから、波乱万丈な結成秘話、そして現在に至るまでの絆を深掘りします。ファンならずとも知っておきたい、二人の「深すぎる関係性」について、やさしくわかりやすくお届けします。
Aマッソの二人の歴史を遡ると、大阪市住之江区の小学校時代にたどり着きます。今では「尖っている」と評されることも多い二人ですが、出会った当時はごく普通の元気な小学生でした。
加納さんと村上さんが出会ったのは、加納さんが小学5年生の時に転校してきたことがきっかけでした。大阪府大阪市住之江区にある小学校で、二人は同じクラスになります。これがすべての始まりでした。
当時の加納さんは、転校生ながらも持ち前の明るさと物怖じしない性格で、すぐにクラスに馴染んだといいます。一方の村上さんも地元育ちの活発な女の子で、二人は自然と同じグループで遊ぶようになりました。
特別なドラマがあったわけではなく、放課後に公園で遊んだり、他愛もない話をしたりする中で、徐々に二人の距離は縮まっていきました。この時期に築かれた「対等な関係性」が、後のコンビとしての土台になったのは間違いありません。
小学生時代の二人には、今の芸風を予感させるようなエピソードが残っています。加納さんによれば、当時クラスには「ジャイアン」のような存在の女の子がいたそうです。
その女の子から「何か面白いことをしろ」と無茶振りをされ、加納さんと村上さんは二人で協力してボケを披露していたといいます。本人たちは「お笑いを献上していた」と冗談混じりに語っていますが、これが人生初のコンビプレーだったのかもしれません。
面白くないと厳しい罰が待っているような環境で、必死に笑いを取りに行った経験が、二人の度胸と瞬発力を鍛えたのでしょう。この頃から、二人の間には「笑い」を媒介とした独特の共犯関係が生まれていました。
二人の地元である大阪市住之江区や阿倍野区近辺には、多くの思い出の場所があります。特に住吉大社の近くにある「万代池公園」は、ファンにとっての聖地とも言える場所です。
学生時代だけでなく、芸人を志してからも、この公園で夜な夜なネタ合わせを行っていたといいます。時には警備員の方に注意されることもありましたが、二人は飽きることなく笑いを追求し続けていました。
地元で過ごした長い時間は、二人の会話のテンポや共通言語を形作りました。阿吽の呼吸で繰り出される関西弁の応酬は、まさにこの土地で育まれた結晶と言えるでしょう。
二人のルーツを探るミニ知識
加納さんと村上さんは、小学校だけでなく中学校も同じ学校に通っていました。高校・大学は別々の道に進みますが、地元が近かったため、疎遠になることなく交流は続いていたそうです。
小学校からの長い付き合いがある二人ですが、最初から芸人を目指していたわけではありません。結成に至るまでには、大学時代の転機と加納さんの強い意志がありました。
コンビ結成の具体的なきっかけは、二人が大学4年生の頃に訪れました。当時、村上さんは普通の女子大生として、一般企業への就職活動に励んでいたそうです。
そんな村上さんの姿を見た加納さんは、ある日強烈な言葉を投げかけました。「就活なんてしてんじゃないよ。ふざけて生きていこうぜ」という、加納さんらしい型破りな誘いでした。
真面目に将来を考えていた村上さんにとって、この言葉は衝撃的でした。しかし、心のどこかで「普通の生活」に違和感を抱いていた彼女は、加納さんの熱量に押される形で、共にお笑いの世界へ飛び込む決意を固めたのです。
「Aマッソ」という言葉は、一度聞いたら忘れられないインパクトがありますが、その由来については長年ファンの間でも議論されてきました。実は、この名前自体に深い意味はないというのが定説です。
加納さんによれば、検索した時に他の言葉と被らない「造語」であることを重視して決めたそうです。二人の名前にあるアルファベットの「A」と、筋肉を意味する「マッスル」を組み合わせたという説が有力です。
しかし、インタビューのたびに「イタリア語で観葉植物の意味」「祖父の断末魔」など、デタラメな由来を答えるのが恒例となっています。真相を煙に巻くスタンス自体が、彼女たちらしい「ボケ」の一つと言えるかもしれません。
コンビを結成した二人は、大阪にある松竹芸能のタレントスクールに入学します。驚くべきことに、彼女たちは入所オーディションで高い評価を受け、特待生として学費免除で迎えられました。
当時からネタの完成度や独特の感性は群を抜いており、事務所関係者の期待も大きかったようです。2010年、満を持して「Aマッソ」としてプロのキャリアをスタートさせました。
最初は大阪を中心に活動していましたが、さらなる高みを目指して、結成からわずか1年ほどで東京へ進出することを決めます。若さと勢いに満ち溢れた、野心的な船出でした。
Aマッソ誕生の背景
加納さんは大学を中退してお笑いの道を選びましたが、村上さんは大学を卒業してから芸人になっています。性格も経歴も対照的な二人が、「おもろいこと」という一点で結ばれた瞬間でした。
順風満帆に見えたAマッソのキャリアですが、東京進出後に大きな壁にぶつかります。それは、所属事務所からの「クビ宣告」という、芸人にとって致命的な出来事でした。
Aマッソは2013年、所属していた松竹芸能を退所することになります。加納さんは後に、この退所を「クビだった」とはっきり語っています。
原因は、当時の彼女たちの「態度の悪さ」にありました。若さゆえの尖りもあり、事務所のマネージャーと衝突したり、指示を無視したりすることが重なった結果だと言われています。
また、女性芸人特有のキャラクター付けを嫌い、自分たちの信じる笑いだけを突き通そうとした姿勢も、当時の事務所の方針とは合わなかったようです。周囲に媚びないスタイルが、裏目に出てしまった時期でした。
事務所を解雇された後は、どこのバックアップもない「フリー」の芸人として活動せざるを得なくなりました。出演できるライブも限られ、将来が見えない不安な日々が続きます。
しかし、この過酷な状況でも二人が解散を考えることはありませんでした。むしろ「自分たちの面白さを認めさせてやる」という反骨精神が、ネタの鋭さをより研ぎ澄ませていったのです。
生活費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れながらも、暇さえあれば二人で集まってネタを書き、練習を繰り返していました。この時期の苦労が、現在の揺るぎないコンビの絆を強固にしたのは間違いありません。
フリーでの活動を続けていたある日、同じライブに出演していた芸人仲間の紹介で、現在の所属事務所であるワタナベエンターテインメントのスタッフの目に留まります。
彼女たちの圧倒的な実力は隠しようがなく、トントン拍子に所属が決定しました。こうして再びプロとして活動する基盤を手に入れたAマッソは、怒涛の快進撃を始めることになります。
一度どん底を経験したことで、加納さんも村上さんも、笑いに対する姿勢がよりプロフェッショナルなものへと進化しました。自分たちの個性を生かしつつ、エンターテインメントとして成立させる術を身につけていったのです。
当時の二人の心境
フリー時代、加納さんは「せめて芸人仲間には認められたい」という焦燥感を抱えていたそうです。誰にも頼れない状況が、彼女たちの創作意欲を極限まで引き出しました。
Aマッソの魅力は、何といっても加納さんが生み出す緻密な構成と、村上さんの予測不能なキャラクターの融合にあります。幼馴染だからこそできる、絶妙な「ズレ」が笑いを生みます。
全てのネタを書いている加納さんは、芸人仲間からも一目置かれる「天才肌」のクリエイターです。彼女が紡ぐ言葉は、日常的な風景を瞬時に異世界へと変えるような力を持っています。
読書家としても知られる加納さんの語彙力は非常に豊富で、漫才やコントの中にも哲学的な問いや、聞き馴染みのない専門用語が巧みに織り交ぜられます。これが「知的な笑い」としての評価に繋がっています。
また、ボケを論理的に説明しすぎず、観客の想像力に委ねる手法も特徴的です。妥協を許さないストイックなネタ作りこそが、Aマッソのブランド価値を高めている最大の要因です。
加納さんの鋭い世界観を、親しみやすい「笑い」へと昇華させるのが村上さんの役割です。彼女の天真爛漫な笑顔と、時折見せる天然ボケは、コンビに柔らかい空気をもたらします。
村上さんは、加納さんが書いた難解な台本を、自分なりの解釈で身体的に表現する才能に長けています。計算されたボケではなく、村上さんの素の魅力から溢れ出る面白さが、ネタに予測不能なスパイスを加えます。
近年では「むらきゃみ」と改名し、より自由奔放なキャラクターを確立しました。加納さんの理論を、村上さんの野生の勘が打ち破る瞬間こそが、Aマッソのネタの真骨頂と言えるでしょう。
二人の漫才やコントを見ていると、言葉を超えた「信頼関係」が伝わってきます。次に相方が何を言うか、どんな動きをするか、長年の付き合いから本能的に理解しているかのようです。
例えば、激しく言い合うようなネタでも、その根底には深い親愛の情が見え隠れします。単なるビジネスパートナーではなく、お互いの性格を隅々まで知り尽くした幼馴染だからこそ、あえて踏み込んだ過激な笑いも成立するのです。
「この二人でなければならない」という強い必然性が、Aマッソのネタには常に漂っています。その結束力こそが、流行に流されない独自のスタイルを維持し続けられる理由かもしれません。
ネタ作りの裏側
加納さんがネタを書く際、村上さんの口癖や動きをあらかじめ想定して当て書きすることが多いそうです。二人の日常会話の延長線上にあるからこそ、ネタに嘘がないのですね。
現在、Aマッソは「女芸人」という枠組みを超え、バラエティやネットコンテンツで圧倒的な存在感を放っています。その活躍は、常に新しい手法を模索し続ける挑戦の連続でした。
二人の実力が全国区に知れ渡った大きなきっかけの一つが、2020年の「女芸人No.1決定戦 THE W」でした。ここで披露した、プロジェクションマッピングを駆使した「映像漫才」は、視聴者に強烈な衝撃を与えました。
伝統的な漫才の形式を壊し、テクノロジーと融合させるという野心的な試みは、加納さんのクリエイティブな才能を象徴する出来事でした。結果は惜しくも準優勝でしたが、そのインパクトは優勝者以上に大きかったと言えます。
単に「面白い」だけでなく、「新しいこと」に挑み続ける姿勢は、多くの若手芸人やクリエイターに刺激を与えました。常に進化を止めない姿こそ、Aマッソが第一線で輝き続ける理由です。
驚くべきことに、加納さんと村上さんは東京進出後、約8年間も同じ家で同居生活を送っていました。幼馴染であり、相方であり、同居人でもあるという、極めて濃密な時間を共に過ごしてきたのです。
2020年に同居を解消した際、加納さんは「30歳を相方と迎えるのはどうかと思った」と冗談混じりに語っていますが、これは二人の関係性が次のステージに進んだ証でもありました。
別々に暮らすようになった現在も、その絆に変わりはありません。むしろ適度な距離感を保つことで、お互いをより客観的に見られるようになり、芸人としての深みが増したように見受けられます。
最近ではコンビとしての活動に加え、個々の才能を活かしたソロ活動も目立っています。特に加納さんはエッセイや小説の執筆で高い評価を受け、文筆家としても確固たる地位を築いています。
彼女が書く文章には、ネタ同様の鋭い視点と繊細な心理描写が同居しており、お笑いファン以外からも注目を集めています。一方、村上さんもその愛されるキャラクターを活かし、バラエティ番組での活躍の場を広げています。
それぞれが外の世界で得た経験を、再び「Aマッソ」という器に持ち帰ることで、コンビとしての表現力はさらに強固なものになっています。二人の出会いから始まった物語は、今まさに最高潮を迎えようとしています。
これからのAマッソに注目!
最近はYouTubeチャンネル「Aマッソ公式チャンネル」でも、実験的で斬新な企画を次々と発表しています。テレビでは見られない、より自由度の高い彼女たちの笑いを楽しむことができます。
Aマッソの加納さんと村上さんは、大阪の小学校で出会った運命の幼馴染です。加納さんの「ふざけて生きよう」という一言から始まったコンビの歴史は、決して平坦なものではありませんでした。
事務所の解雇、フリー時代の苦闘、そして現在の輝かしい活躍。どんな困難な状況にあっても、二人の根底にあるのは「おもろいことをやりたい」という純粋な衝動でした。その衝動を共有できる唯一の相手として、二人は長い年月を共に歩んできたのです。
知的な加納さんと、感性の村上さん。正反対のようでいて、実は深く繋がっている二人の掛け合いは、これからも私たちに新鮮な驚きと笑いを提供し続けてくれるでしょう。幼馴染という最強の絆を持つAマッソの旅は、まだまだ続いていきます。