モグライダー芝の元相方は誰?結成までの壮絶な遍歴とボケ時代の秘話を公開

 

M-1グランプリの決勝進出をきっかけに、今やテレビで見ない日はないほどの大ブレイクを果たしたモグライダー。そのツッコミ担当である芝大輔さんは、圧倒的なルックスと天才的なワードセンスで「芸人が憧れる芸人」としても知られています。

 

しかし、現在の華々しい活躍に至るまでには、数多くのコンビ解散と苦難の時代がありました。実は、現在の「天才ツッコミ」という立ち位置も、昔からそうだったわけではありません。

 

この記事では、モグライダー芝さんの元相方や過去のコンビ遍歴、そして現在のスタイルに至るまでの知られざるエピソードを詳しく解説します。地下芸人時代の苦労を知れば、今の活躍がより一層感慨深くなるはずです。

 

モグライダー芝の元相方は誰?過去のコンビ遍歴

 

モグライダーとして成功を収める前、芝大輔さんはいくつかのコンビを組んでは解散するという経験を繰り返してきました。ここでは、彼のキャリアにおける重要な元相方たちと、当時のコンビ名について振り返ります。

 

デビュー当時の相方・岡野秀文と「弁天小僧」

芝さんが本格的にプロの芸人として歩み始めたのは、吉本興業の養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)東京校の9期生として入学してからです。その時に結成していたコンビが「弁天小僧」でした。
この時の相方は岡野秀文(おかの ひでふみ)さんという方で、芝さんにとってはプロとしての最初のパートナーです。当時は吉本興業に所属し、劇場での出番を勝ち取るために切磋琢磨していました。
現在では鋭いツッコミとして知られる芝さんですが、当時はまだ自分のスタイルを模索している段階でした。弁天小僧としての活動は数年続きましたが、残念ながら解散という道を選ぶことになります。岡野さんのその後の活動については、表舞台での情報は少なくなっています。

 

地元の親友と結成した「ジ・アンチェイン」

芝さんの芸歴を語る上で欠かせないのが、地元の愛媛県から一緒に上京した親友とのエピソードです。芝さんは高校卒業後、お笑い芸人になる夢を叶えるため、幼馴染の友人を誘って東京へ向かいました。
その友人と組んでいたコンビ名が「ジ・アンチェイン」です。文字通り、縛られない自由な笑いを目指していたのかもしれません。二人は愛媛の限界集落から「天下を取る」という野望を抱いて都会へと飛び出しました。
しかし、プロの世界は想像以上に厳しく、このコンビも長続きはしませんでした。地元の絆が強すぎたゆえの難しさもあったのかもしれません。この解散後、芝さんはしばらくの間、芸人としての活動を休止する「暗黒時代」を経験することになります。

 

意外にも「ボケ」担当だった修行時代

現在の芝さんといえば、カミカミの相方・ともしげさんを完璧に捌く「日本一のツッコミ」の一人として評価されています。しかし驚くべきことに、モグライダーを結成するまでの芝さんは、ずっとボケ担当でした。
本人も「自分はボケの方が向いている」と思い込んでおり、弁天小僧やジ・アンチェインでもボケとしてネタを書いていました。しかし、どのコンビでも決定的な手応えを掴むことができず、解散を繰り返すことになってしまったのです。
自分がボケとして振る舞うことに限界を感じ始めていた時期、芝さんは「次に組む時は、絶対に自分とは真逆のタイプを探そう」と心に決めました。この決意が、後に運命の相方であるともしげさんとの出会いへと繋がっていくことになります。

 

最初の本格コンビ「弁天小僧」と吉本興業時代

 

芝さんの芸人人生のスタートラインは、最大手である吉本興業でした。NSC東京9期生という、後に数多くのスターを輩出する黄金世代の中で、芝さんはどのような若手時代を過ごしていたのでしょうか。

 

NSC東京校9期生としての出発

芝さんがNSCに入学したのは2003年のことです。同期には、ハリセンボン、しずる、ライス、パンサーの菅良太郎さんといった、現在バラエティ番組の第一線で活躍する面々が揃っていました。
この豪華な顔ぶれの中で、芝さんは相方の岡野さんと共に「弁天小僧」として活動を開始します。NSC時代から芝さんはそのセンスを見込まれていましたが、同期たちが次々とテレビ出世していく中で、なかなか芽が出ない日々が続きました。
当時の芝さんは、今のようなリーゼントヘアではなく、ごく普通の髪型で活動していたそうです。それでも、隠しきれない「華」や「色気」は当時から同業者の間でも噂になっていたといいます。

 

NSC東京9期生の主な同期メンバー

コンビ名・個人名 現在の活躍
ハリセンボン バラエティ番組の顔として活躍
しずる コントの実力派として定評
ライス キングオブコント2016王者
パンサー(菅) 独特のキャラクターで人気

 

漫才のスタイルと当時の評価

「弁天小僧」時代の漫才は、芝さんがボケ倒し、相方の岡野さんがそれをいなすというオーソドックスな形でした。しかし、芝さんのボケはどこかシニカルで独特の感性があり、玄人好みのするスタイルだったと言われています。
劇場のオーディションライブでは良いところまで行くものの、一般のお客さんに爆発的な笑いを提供するには至りませんでした。芝さん自身も、「自分の面白さをどう形にすればいいのか」という迷いの中にいたのかもしれません。
ただ、当時から芸人仲間たちの間では「芝はいつか売れる」「あいつは天才だ」という評価が定着していました。本人が自覚するよりも早く、周囲は彼のポテンシャルの高さに気づいていたのです。

 

コンビ解散に至った背景と心境の変化

順調に見えた時期もありましたが、数年の活動を経て「弁天小僧」は解散を選択します。大きなトラブルがあったわけではなく、将来に対する方向性の違いや、結果が出ないことへの焦りが積み重なった結果でした。
吉本興業という巨大な組織の中で、埋もれていく恐怖感も少なからずあったはずです。芝さんはこの時、「自分はもうボケとしてやっていくのは無理かもしれない」という大きな壁にぶつかりました。
解散後、芝さんは一度吉本を離れることになります。これは彼にとって大きな挫折であり、同時に自分自身を客観的に見つめ直すための、非常に重要なターニングポイントとなったのでした。

 

地元の友人と歩んだ「ジ・アンチェイン」の物語

 

芝大輔という男の根底にあるのは、愛媛の深い山奥で育ったというアイデンティティです。その故郷から一緒に夢を追った友人との「ジ・アンチェイン」時代は、彼の青春そのものでした。

 

限界集落から上京した熱い夢

芝さんの実家は、愛媛県内でも指折りの「限界集落」にあります。コンビニに行くのにも一苦労という環境で、テレビから流れるお笑い番組だけが、広い世界へと繋がる唯一の窓口でした。
そんな環境で育った芝さんが、幼馴染の友人を誘って「芸人になろう」と声をかけたのは、ある種の必然だったのかもしれません。二人は期待と不安を胸に、ボロ布を繋ぎ合わせたような荷物を持って東京へと向かいました。
この上京物語は、後にテレビ番組でも語られることがありますが、当人たちにとってはまさに命がけの挑戦でした。何もない故郷を捨てて、笑いの頂点を目指すという純粋な情熱が、そこにはありました。

 

プロの厳しさを知った共同生活

東京での生活は、決して甘いものではありませんでした。狭いアパートでの共同生活を送りながら、昼夜を問わずアルバイトに明け暮れる日々。肝心のネタ作りも、プロの壁に阻まれて思うように進みません。
「ジ・アンチェイン」としてライブに出演しても、思うような結果は得られませんでした。地元の友人同士という気安さが、プロとしての厳しさを追求する上で、逆に足かせになってしまった部分もあったようです。
仲が良いからこそ、ダメな部分を指摘できない。そんなもどかしさを抱えながら、二人の関係性は徐々に「遊び仲間」から「夢に破れた同居人」へと変わっていってしまいました。

 

ジ・アンチェイン時代の苦労エピソード
当時はお金が全くなく、二人で1つのパンを分け合って食べるような生活をしていたこともあったそうです。それでも「いつか売れる」という根拠のない自信だけを支えに生きていました。

 

コンビ解消と芝の「芸人休止期間」

最終的に、ジ・アンチェインは自然消滅のような形で解散を迎えます。相方の友人は芸人の道を諦め、別の道を歩むことになりました。芝さんにとって、この別れは身を削るような辛い経験でした。
この後、芝さんは約3年間もの間、表立った芸人活動を停止します。「自分には才能がないのではないか」「お笑いを続ける意味があるのか」という自問自答を繰り返す日々でした。
しかし、この休止期間があったからこそ、彼は「次は誰かに誘われるのを待つのではなく、自分から最強の相方を見つける」という強い意志を持つことができたのです。挫折は、次の飛躍のための準備期間でもありました。

 

ともしげとの運命的な出会い!結成に踏み切った理由

 

長い休止期間を経て、芝さんは再びお笑いの世界に戻る決意をします。その再出発のパートナーとして選んだのが、現在の相方であるともしげさんでした。二人の出会いは、まさに運命的でした。

 

ともしげの「ツッコミ代」に惚れ込んだ芝

活動を再開しようと考えた芝さんは、新しい相方を探すためにライブハウスへと足を運びました。そこで目にしたのが、当時別のコンビで活動していた、ともしげさんの姿です。
ともしげさんはステージ上で噛みまくり、挙動不審な動きを繰り返していました。普通の芸人なら「使い物にならない」と見限るところですが、芝さんの視点は違いました。「この人はツッコミ代(しろ)の塊だ」と直感したのです。
完璧すぎるボケよりも、予測不能なミスをする人間の方が、ツッコミとしての自分の腕を最大限に活かせる。芝さんは、ともしげさんの不器用さの中に、誰も気づいていないダイヤの原石を見出したのでした。

 

最後のコンビと決めて挑んだマセキ芸能社

芝さんはともしげさんを誘う際、「これでダメだったら芸人を辞める」という強い覚悟を持っていました。ともしげさんもまた、過去に10回近く解散を繰り返しており、後がない状態でした。
二人は「モグライダー」というコンビを結成し、心機一転、マセキ芸能社の門を叩きます。ウッチャンナンチャンやナイツといった実力派が揃う名門事務所で、彼らの新たな挑戦が始まりました。
これまでの「ボケとしての芝大輔」を完全に捨て去り、「ともしげを活かすためのツッコミ」に徹するという戦略。これが、後に彼らをM-1の舞台へと導く大きな鍵となったのです。

 

コンビ名「モグライダー」の由来
実は、ともしげさんが喫茶店で「奥、開いた(おくあいた)」と言ったのを、芝さんが「モグライダー」と聞き間違えたことが由来だという説が有名です。結成当初から、二人の噛み合わなさがコンビ名に表れていたのですね。

 

ボケからツッコミへ転向したことが転機に

ともしげさんと組んでからの芝さんは、まさに「水を得た魚」のように輝き始めました。ともしげさんの天然なボケや言い間違いに対し、即興で鋭く、かつ愛のあるツッコミを入れるスタイルが確立されたからです。
元々ボケ担当だった芝さんは、ボケる側の気持ちや「どこを拾ってほしいか」が誰よりも分かります。そのため、ともしげさんの支離滅裂な発言も、芝さんのフィルターを通すことで爆笑のネタへと変わりました。
この役割分担の変更こそが、芝さんにとって最大の転機でした。かつて元相方たちと苦労した経験すべてが、ともしげさんという「最強の素材」を料理するための技術として結実したのです。

 

同期のスター芸人たちとの意外な関係性

 

モグライダー芝さんは、多くのスターを輩出した「NSC東京9期生」の一員です。同期たちの活躍を横目に過ごした長い下積み時代、彼はどのような交流を持っていたのでしょうか。

 

豊作すぎるNSC東京9期生の顔ぶれ

芝さんの同期である9期生は、お笑い界でも屈指の「当たり年」と言われています。前述したハリセンボンやしずる以外にも、ライスやゴールデンボンバーの鬼龍院翔さん(当時は芸人)などが在籍していました。
特筆すべきは、大阪のNSC(26期生)も同期にあたることです。そこには、かまいたち、天竺鼠、藤崎マーケット、和牛、アインシュタインの河井ゆずるさんといった、賞レースの覇者や人気者がズラリと並びます。
芝さんは長い間、これらの華やかな同期たちの影に隠れる存在でした。しかし、彼らがテレビのゴールデン番組で活躍する姿を見ることは、芝さんにとって大きな刺激であり、同時に諦めないための糧となっていました。

 

かまいたち・山内健司との不思議な縁

同期の中でも、現在お笑い界のトップを走るかまいたちの山内健司さんと芝さんは、深い親交があります。二人は同じ2003年デビュー組として、互いの実力を認め合う仲です。
山内さんは早くから芝さんの才能に注目しており、「芝はいつか絶対に出てくる」と公言していました。TBSの番組「ジョンソン」で共演した際も、山内さんは芝さんのツッコミのキレを絶賛しています。
長い年月を経て、ようやく同じ土俵で戦えるようになった二人。元相方たちと苦しみながら歩んできた芝さんにとって、山内さんのようなトップランナーからの評価は、何よりの励みになったことでしょう。

 

地下芸人時代を共にした仲間たち

吉本を離れ、マセキ芸能社に移籍してからの芝さんは、「地下芸人」と呼ばれるライブ中心の過酷な環境で腕を磨きました。そこで出会った仲間たちとの絆も、彼の現在の強みとなっています。
三四郎の小宮浩信さんとは特に仲が良く、お互いの売れない時代を支え合ってきました。モグライダーがM-1決勝に初めて進出した際、小宮さんが自分のことのように涙を流して喜んだエピソードは、ファンの間でも有名です。
元相方たちとの別れ、そして新しい仲間との出会い。そのすべてが、現在の「モグライダー芝」という唯一無二の芸人を作り上げました。多くの芸人から愛される彼の人間性は、この苦労人としての背景があるからこそなのです。

 

まとめ:モグライダー芝と元相方たちが築いた現在

 

モグライダー芝さんの元相方やコンビ遍歴を辿ってみると、決して順風満帆な道のりではなかったことが分かります。NSC時代の「弁天小僧」での挫折、地元の親友と組んだ「ジ・アンチェイン」での苦い経験。それら一つひとつが、現在の成功へと繋がる大切なステップでした。

 

かつてはボケとして自分の居場所を探し続けていた芝さんが、ともしげさんという究極の素材に出会い、ツッコミとして覚醒したストーリーは、まさに芸人人生の大逆転劇と言えるでしょう。

 

モグライダー芝の軌跡まとめ
・最初のコンビはNSC東京9期生の「弁天小僧」。当時はボケ担当だった。
・地元の親友と上京して結成した「ジ・アンチェイン」を経て、一時活動を休止。
・ともしげの圧倒的な不器用さに惚れ込み、ツッコミへ転向して再出発。
・同期(かまいたち、ハリセンボン等)や地下芸人仲間の支えを受け、ついにブレイク。

 

元相方たちとの活動で得た経験があるからこそ、芝さんは現在の複雑な漫才を冷静にコントロールできるのです。過去の失敗をすべて「笑い」へと昇華させたモグライダー芝さんの今後のさらなる活躍から、目が離せません。