銀シャリ橋本の昔の相方は誰?NSC時代のコンビ解消から現在のコンビ結成までを詳しく紹介

 

M-1グランプリ2016の王者として知られ、現在も第一線で活躍を続ける「銀シャリ」。そのツッコミ担当である橋本直さんは、類まれなる語彙力と鋭いセンスで、多くのお笑いファンを魅了しています。正統派漫才師としての地位を確立した橋本さんですが、実は現在の相方である鰻和弘さんと出会う前には、別の相方とコンビを組んでいた時期がありました。

 

華々しい経歴を持つ橋本さんが、若手時代にどのような道を歩み、今のスタイルを築き上げたのか気になっている方も多いのではないでしょうか。この記事では、銀シャリ橋本さんの昔の相方にスポットを当て、知られざる下積み時代のコンビ遍歴や、解散の理由、そして運命の出会いと言える銀シャリ結成の裏側までを深く掘り下げて解説します。

 

お笑い解説サイト「芸人ディープ図鑑」として、当時のエピソードを交えながら、橋本直さんの芸人としての原点に迫ります。昔の相方が現在どのような活動をしているのかといった、ファンならずとも興味深い情報もたっぷりとお届けしますので、ぜひ最後までお楽しみください。

 

銀シャリ橋本さんの昔の相方とは?NSC時代の活動を振り返る

 

銀シャリの橋本直さんは、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の25期生です。現在でこそ鰻さんとのコンビが定着していますが、養成所時代やデビュー当時は、複数の異なるパートナーと活動していました。ここでは、記録に残っている橋本さんの「昔の相方」について具体的に見ていきましょう。

 

コンビ「ピカチュウ」としての活動と相方の存在

 

橋本さんがNSC時代、最初に本格的に活動していたとされるコンビが「ピカチュウ」です。この時の相方は、同期の坪井さんという方でした。当時の橋本さんは、すでに現在のスタイルの原型となる鋭いツッコミを披露しており、養成所内でも一目置かれる存在だったと言われています。

 

しかし、当時はまだ芸風を模索していた時期でもあり、コンビとしての方向性を固めるのは容易ではありませんでした。若さゆえの衝突や、笑いに対するこだわりの違いから、残念ながら「ピカチュウ」としての活動は長くは続きませんでした。ですが、この時期の経験が後の橋本さんのツッコミの土台となったことは間違いありません。

 

坪井さんとのコンビは、橋本さんにとってプロの芸人としての厳しさを知る最初のステップとなりました。現在、坪井さんが芸能活動を続けているという明確な情報はありませんが、当時の同期たちの間では「橋本の最初の相方」として記憶に残っているエピソードの一つとなっています。

 

「山中橋本」時代の意外なエピソードとパートナー

 

ピカチュウを解消した後、橋本さんは「山中橋本」というコンビ名で活動していた時期があります。この時の相方は山中啓太さんです。このコンビもNSC時代の活動が中心でしたが、橋本さんにとっては非常に重要な時期でした。なぜなら、山中さんは現在、芸人とは全く異なる分野で活躍されているからです。

 

実は、昔の相方である山中啓太さんは、芸人を引退した後に政治の世界へと進みました。現在は堺市議会議員として活動されており、お笑い界から政界へという異例の転身を遂げています。橋本さんもバラエティ番組などで、かつての相方が市議会議員になったことをネタにしたり、驚きを語ったりすることがあります。

 

「山中橋本」としての活動期間は決して長くはありませんでしたが、お互いに才能を認め合っていた仲だったようです。当時の橋本さんは、誰と組んでも高いレベルの漫才ができる「器用なツッコミ」として評価されていましたが、それでも自分にぴったりの「ボケ」を探し求めていた苦悩の時期でもありました。

 

当時の橋本さんの芸風と周囲からの評判

 

NSC大阪25期生の中でも、橋本さんのツッコミの実力は群を抜いていました。同期にはジャルジャル、プラス・マイナス、アキナの山名文和さんなど、後に第一線で活躍する才能がひしめいていましたが、その中でも橋本さんは「ツッコミの天才」と目されていました。

 

当時の橋本さんは、今よりもさらに尖った印象があったと言われており、漫才に対する熱量が非常に高かったそうです。昔の相方たちに対しても、笑いに関しては一切の妥協を許さない姿勢で臨んでいました。そのため、周囲からは尊敬される一方で、相方となる人物にとってはプレッシャーを感じる存在でもあったのかもしれません。

 

指導教官からも高い評価を受けていた橋本さんですが、コンビの結成と解散を繰り返す中で「自分を最大限に活かしてくれるボケ」の重要性を痛感していきました。この時期の試行錯誤があったからこそ、後に鰻さんの独特な空気感に合わせた、あの変幻自在なツッコミが完成したのです。

 

なぜ昔の相方とは解散することになったのか

 

橋本さんが昔の相方たちと解散に至った主な理由は、一言で言えば「笑いの方向性の違い」でした。橋本さんは当時から、緻密に構成されたしゃべくり漫才を志向していましたが、相方の持つ個性や目指す笑いと、橋本さんの求める理想の形が、どうしても合致しなかったのです。

 

特に橋本さんのような「言葉」を大切にするツッコミにとって、ボケのニュアンス一つで笑いの増幅率が大きく変わってしまいます。昔の相方たちも才能がありましたが、橋本さんの圧倒的な熱量と語彙力を受け止めるには、相当な相性が必要だったと言えるでしょう。

 

また、若手芸人の世界では、NSC卒業前後にコンビを解消することは珍しいことではありません。お互いの将来を考えた結果、別の道を進むことが最善であると判断したのです。橋本さんは決して相方を蔑ろにしていたわけではなく、むしろ真剣に漫才に向き合っていたからこそ、安易な妥協をせずに「解散」という苦渋の決断を繰り返してきました。

 

橋本さんの昔の相方の主な変遷

コンビ名 相方の名前 活動時期 備考
ピカチュウ 坪井さん NSC時代 橋本さんの初期コンビ
山中橋本 山中啓太さん NSC時代 山中さんは現在、堺市議会議員

 

橋本直さんの芸人人生の始まりと挫折

 

輝かしい成功を収めている橋本直さんですが、その芸人人生は決して平坦なものではありませんでした。兵庫県伊丹市出身の橋本さんは、幼い頃からお笑いに親しんで育ちましたが、実際にプロの門を叩いてからは、多くの葛藤と向き合うことになります。

 

NSC大阪校25期生としての船出と同期の顔ぶれ

 

橋本さんがNSCに入学したのは2002年のことです。25期生は非常にレベルが高いことで知られ、現在も多くの人気芸人を輩出しています。クラスメイトには、独特の世界観を持つジャルジャル、実力派漫才師のプラス・マイナス、そして後にキングオブコントでも活躍するアキナの山名さんや秋山さんなどがいました。

 

これほどまでに才能溢れる同期に囲まれる中で、橋本さんは「自分にしかできないツッコミ」を模索していました。当時の大阪のお笑い界は、伝統的な漫才を重んじつつも、新しい形を求める過渡期にありました。橋本さんは、王道のしゃべくりをベースにしつつ、自分らしい言葉のチョイスを磨くことに没頭していきました。

 

同期との切磋琢磨は刺激的である一方、先にテレビ出演を決める仲間を見て焦りを感じることもあったそうです。しかし、橋本さんは自身の腕を磨くことを止めませんでした。どんなに環境が変わっても、漫才に対する情熱だけは誰にも負けないという強い意志を持っていました。

 

養成所時代から際立っていたツッコミの才能

 

橋本さんの最大の武器である「例えツッコミ」や「丁寧な言葉遣いでの論破」は、NSC時代からその片鱗を見せていました。当時からネタの台本を書く能力に長けており、相方の良さを引き出しつつ、的確に笑いへ繋げる技術は講師陣からも絶賛されていました。

 

「橋本のツッコミがあれば、どんなボケでも面白くなる」とまで言わしめたその才能は、まさに天賦の才でした。しかし、橋本さん本人はその評価に甘んじることなく、常にノートを持ち歩き、日常の中にある面白い言葉や違和感のあるフレーズをメモし続けていました。この努力が、現在の圧倒的な語彙力の源となっています。

 

当時の橋本さんは、単に大声で突っ込むだけでなく、観客が「確かに!」と納得しつつ笑えるような、論理的なツッコミを目指していました。このスタイルは、現在の銀シャリの漫才においても、知的な笑いを好むファン層から支持される大きな要因となっています。

 

同期芸人たちが語る当時の橋本さんの印象

 

同期の芸人たちにとって、当時の橋本さんは「少し近寄りがたいほどお笑いにストイックな男」という印象だったようです。ネタ合わせの時間以外でも常に笑いのことを考えており、周囲の芸人と遊んでいても、どこか頭の片隅でネタのヒントを探しているような雰囲気がありました。

 

ジャルジャルの二人などは、当時の橋本さんのことを「めちゃくちゃ漫才が上手い奴がいる」と認めていました。また、プラス・マイナスの岩橋さんも、橋本さんのツッコミのスピード感と正確さには目を見張るものがあったと振り返っています。橋本さんは、同期の中で目標とされる存在でもあったのです。

 

しかし、本人はコンビの解散を繰り返していたこともあり、自信と不安が入り混じった複雑な心境だったと言います。「才能はあるのに、なぜ相方が定まらないのか」という周囲の視線も、当時の橋本さんにとっては大きな重圧となっていました。それでも腐らずに活動を続けたことが、後の大ブレイクに繋がります。

 

試行錯誤を繰り返した若手時代の苦労

 

NSCを卒業してプロとしての活動を始めてからも、しばらくは不遇の時代が続きました。劇場のオーディションを受けては落ち、受かってもなかなか上のクラスに上がれない日々。昔の相方と別れた後、ピン芸人として活動することも検討した時期がありましたが、やはり「自分は漫才がしたい」という思いが消えることはありませんでした。

 

橋本さんにとっての苦労は、経済的な困窮もさることながら、精神的な孤独感も大きかったと言います。自分の理想とする漫才を形にしてくれる相方がいないという状況は、漫才師を目指す者にとって最も辛い試練です。公園で一人、仮想の相方に向けてツッコミの練習をすることもあったというエピソードは有名です。

 

この苦しい時期に培われた忍耐力と、客観的に自分を見つめ直す時間は、結果として橋本さんの芸風をより深みのあるものへと昇華させました。挫折を知っているからこそ、相方の鰻さんを尊重し、今の安定したコンビ仲を築くことができているのかもしれません。

 

橋本さんのNSC時代の評価
当時の講師陣からは「25期で最も完成されたツッコミ」と呼ばれていました。一方で、あまりに正論を突き通すため、相方が萎縮してしまうこともあったという裏話もあります。今の丸みのあるキャラクターは、数々の解散を経て手に入れた「相方への優しさ」の現れかもしれません。

 

銀シャリ結成のきっかけと鰻さんとの出会い

 

複数の相方との解散を経て、橋本さんが最後に辿り着いたのが鰻和弘さんでした。二人の出会いは、当時の大阪若手芸人界隈に激震を走らせることになります。それは、計算し尽くされたツッコミと、計算不可能な天然ボケという、最高の化学反応が起こった瞬間でした。

 

鰻和弘さんとの運命的な出会いの経緯

 

橋本さんと鰻さんが出会ったのは、NSCを卒業して間もない頃の劇場の楽屋でした。鰻さんもまた、当時のコンビを解散したばかりで、新しい相方を探している状況でした。当時の鰻さんは「フルーツポンチ(現在の東京のコンビとは別)」というコンビで活動しており、その天然すぎるキャラクターは一部の芸人の間で噂になっていました。

 

橋本さんは、鰻さんのことを以前から「面白い素材がいるな」と密かに注目していました。一方で鰻さんも、橋本さんのツッコミの実力は十分に承知していました。お互いに「こいつとなら面白いことができるかもしれない」という直感めいたものがあったそうです。

 

ある日、橋本さんから鰻さんに声をかけ、喫茶店で話をすることになりました。そこで笑いの観点や将来の目標について語り合った二人は、すぐに意気投合しました。橋本さんの理論的な考えと、鰻さんの感覚的な生き方が、不思議とパズルのピースのようにはまったのです。こうして2005年、ついに「銀シャリ」が結成されました。

 

鰻さんを相方に選んだ決定的な理由

 

橋本さんが数ある候補者の中から鰻さんを相方に選んだ決定的な理由は、鰻さんの持つ「圧倒的なボケの純粋さ」でした。これまでの相方たちは、どこか橋本さんのツッコミを意識した「用意されたボケ」をすることが多かったのですが、鰻さんは違いました。

 

鰻さんのボケは、狙っているのか天然なのか判別がつかないほどナチュラルで、橋本さんにとって「予測不可能な面白さ」を提示してくれる存在でした。橋本さんは、自分の高いツッコミ技術を最大限に発揮するためには、自分とは全く異なる思考回路を持つ鰻さんこそが最適だと確信したのです。

 

また、鰻さんの人柄も大きな要因でした。誰からも愛される愛嬌があり、橋本さんの鋭すぎるツッコミを柔らかく中和してくれる雰囲気を持っていました。橋本さんは「自分一人では角が立ちすぎる笑いも、鰻が横にいれば万人に受け入れられるエンターテインメントになる」と考えたのです。

 

「銀シャリ」というコンビ名の由来とこだわり

 

コンビ名の「銀シャリ」は、二人が出会った喫茶店で話し合って決められました。当時、カタカナや英語のコンビ名が多い中で、あえて古風な日本語にこだわったのは、彼らが目指す「正統派のしゃべくり漫才」を象徴するためでした。

 

「銀シャリ」という言葉には、炊きたての艶やかなお米のように、誰からも愛され、飽きのこない存在でありたいという願いが込められています。また、日本人にとっての主食であるお米のように、お笑い界において欠かせない存在になるという決意も込められていました。

 

この名前が決まった際、橋本さんは「日本一の漫才師になった時、この名前が一番かっこよく響くはずだ」と周囲に語っていたそうです。青いジャケットというトレードマークも相まって、銀シャリという名前はすぐに劇場のお客さんの間に浸透していきました。

 

結成当初の劇場の反応と苦労話

 

銀シャリとして活動を開始した当初、劇場の反応は賛否両論ありました。橋本さんのハイテンションなツッコミと、鰻さんのゆったりとしたボケのテンポが、まだ完全には噛み合っていない時期があったからです。観客からは「橋本が一人で頑張りすぎている」という厳しい声が上がることもありました。

 

しかし、二人は諦めることなく、毎日のようにネタ合わせを繰り返しました。特に橋本さんは、鰻さんの天然エピソードをいかに漫才に取り込むかに心血を注ぎました。鰻さんの不思議な言動を、橋本さんの例えツッコミで調理する「銀シャリスタイル」が徐々に形作られていったのです。

 

結成から数年が経つ頃には、大阪の主要な賞レースで結果を残し始め、劇場でも常にトップクラスの爆笑をさらうようになりました。昔の相方たちとの別れがあったからこそ、橋本さんは鰻さんという唯一無二のパートナーの価値を誰よりも理解し、大切に育てていくことができたのです。

 

銀シャリ結成の秘話
実は結成当初、鰻さんは「橋本さんのツッコミが凄すぎて、自分が何をしても面白くしてくれるから緊張する」と漏らしていたそうです。それに対し橋本さんは「お前は何もしなくていい、俺が全部拾うから」と答えたと言います。この信頼関係が、王者の漫才を生み出しました。

 

橋本さんの高いツッコミ力の源泉はどこにあるのか

 

銀シャリの漫才を語る上で欠かせないのが、橋本直さんの圧倒的な「ツッコミの質」です。昔の相方たちとの経験を経て、なぜ彼はここまで完成された芸風を手に入れることができたのでしょうか。そこには、彼の並々ならぬ努力と独特の視点が存在します。

 

正統派漫才を支える語彙力の秘密

 

橋本さんのツッコミは、語彙の豊富さが特徴です。単に「なんでやねん」と言うだけでなく、「それは平安時代の価値観やないか」といった、教養とウィットを織り交ぜたフレーズが次々と飛び出します。この語彙力は、彼が長年続けてきた読書や映画鑑賞、そして日常のあらゆる事象を言語化する習慣から生まれています。

 

彼は、自分の知らない言葉に出会うと、その意味だけでなく「どんな状況で使うと最も滑稽に聞こえるか」までをセットで考えると言います。また、関西弁の持つ独特のリズム感を壊さずに、知的な言葉をはめ込む技術も、数多の舞台を踏む中で磨き上げられたものです。

 

橋本さんにとって言葉は、漫才という戦場で使う精密な道具のようなものです。一つひとつのフレーズの長さを1文字単位で調整し、鰻さんのボケの余韻を消さない絶妙なタイミングで放つ。この職人気質なこだわりが、銀シャリの漫才に高級感と品格を与えています。

 

伝統的な「上方漫才」へのリスペクト

 

橋本さんは、古き良き上方漫才に対して非常に強いリスペクトを持っています。横山やすし・西川きよし、夢路いとし・喜味こいしといった伝説的な漫才師たちの映像を繰り返し視聴し、その間(ま)や立ち振る舞いを研究し尽くしてきました。

 

「自分たちは新しいことをしているのではなく、伝統的な技術を使って今の時代を笑わせたい」と語る橋本さんの姿勢は、多くのベテラン芸人からも高く評価されています。昔の相方たちと組んでいた頃から、彼の根底には「漫才は技術職である」という信念が流れていました。

 

そのリスペクトの象徴が、現在も着用し続けている「青いジャケット」です。かつての漫才師たちが華やかな衣装で舞台に立ったように、自分たちも一目で漫才師だとわかる格好で舞台に立ちたいという思いが込められています。伝統を背負いつつ、現代のセンスを融合させるのが橋本流の漫才道です。

 

他の芸人とは一線を画す例えツッコミの技術

 

橋本さんの代名詞とも言える「例えツッコミ」。その真骨頂は、ボケの内容をさらに広げ、観客の想像力を刺激する点にあります。普通のツッコミが「間違いを指摘する」ものであるのに対し、橋本さんのツッコミは「ボケが作ったおかしな世界観を、言葉でより鮮明に描き出す」という役割を果たしています。

 

例えば、鰻さんが突拍子もないことを言った際、橋本さんは「お前の頭の中、湿布の裏側くらい真っ白やな!」といった、視覚的でかつ納得感のある例えを瞬時に繰り出します。この反射神経は、かつて昔の相方たちとの活動で苦労し、どんなボケが飛んできても対応できるように自分を追い込んできた結果です。

 

また、彼の例えツッコミには「誰も傷つけない」という優しさも含まれています。対象を貶めるのではなく、状況の滑稽さを笑いに変えるその技術は、現代のバラエティ番組においても重宝される大きな武器となっています。

 

青いジャケットに込められた意味とスタイル

 

銀シャリと言えば、鮮やかなブルーのスーツが印象的です。これは、昭和の漫才師たちが着ていたような「衣装としてのスーツ」へのこだわりから選ばれたものです。結成当初、橋本さんは「見た目から正統派であることを宣言したい」と提案し、現在のスタイルが定着しました。

 

このジャケットを着ることで、橋本さんはスイッチが入ると言います。プライベートの橋本直から、漫才師・銀シャリ橋本へと変身するための重要な儀式のようなものです。昔の相方と組んでいた頃は、まだ自分たちのカラーが定まらず私服で舞台に立つこともありましたが、銀シャリになってからはこの青色が彼らのアイデンティティとなりました。

 

現在では「青いジャケット=銀シャリ」というイメージが完全に定着しており、その安定感は視聴者に安心感を与えています。どんなに売れてもスタイルを変えないその姿勢は、彼らの漫才に対する誠実さを表していると言えるでしょう。

 

橋本さんのツッコミへのこだわり
橋本さんは「ツッコミは翻訳家であるべき」と考えています。鰻さんの意味不明なボケを、お客さんが理解できる言葉に翻訳して伝える。その翻訳の精度が高ければ高いほど、笑いは大きくなります。この「翻訳能力」こそが、彼をトップ芸人へと押し上げた要因です。

 

昔の相方を経て辿り着いたM-1王者の称号

 

銀シャリとしての努力が結実した瞬間は、やはり2016年のM-1グランプリ優勝でしょう。昔の相方たちとの別れ、挫折、そして鰻さんとの出会い。そのすべてが、決勝の舞台で見せたあの完璧な4分間の漫才に繋がっていました。

 

2016年M-1グランプリ優勝までの軌跡

 

銀シャリはM-1グランプリにおいて、何度も悔しい思いをしてきました。決勝進出を果たしながらも、あと一歩のところで優勝を逃す日々。しかし、橋本さんはその度にネタを改良し、ツッコミのフレーズを磨き直しました。「次はもっと精度の高い笑いを」という執念が、彼らを支えていました。

 

2016年の大会、彼らは「正統派の復権」をテーマに掲げ、王道のしゃべくり漫才で勝負に挑みました。1stラウンドでの「ウンチク」をテーマにしたネタでは、橋本さんのツッコミが冴え渡り、会場を爆笑の渦に巻き込みました。審査員からも「これぞ漫才」という高い評価を受け、最終決戦へと駒を進めました。

 

最終決戦で見せた「雑学」のネタも、緻密に練り上げられた構成と、鰻さんのキャラクターが最大限に活かされた傑作でした。審査の結果、見事に第12代王者の栄冠を勝ち取った瞬間、橋本さんの目には涙が浮かんでいました。それは、長く険しい道のりを共に歩んできた鰻さんへの感謝と、これまで関わってきたすべての人への思いが溢れた瞬間でした。

 

過去の相方たちへの思いと今の自分

 

優勝後のインタビューなどで、橋本さんが昔の相方について直接言及することは多くありません。しかし、彼の中には間違いなく「あの時の経験があったからこそ、今の鰻との漫才がある」という感謝の念があるはずです。解散という辛い決断を繰り返したからこそ、相方を信じることの大切さを学んだのです。

 

特に、市議会議員になった山中啓太さんのような、別の道で成功を収めている昔の相方の存在は、橋本さんにとっても刺激になっているようです。自分は漫才という道で頂点を目指し、元相方は政治の世界で市民のために尽力する。形は違えど、それぞれの場所でプロとして生きる姿勢に、共通の誇りを感じているのかもしれません。

 

昔の相方がいたからこそ、自分のツッコミの癖や弱点を知ることができ、それを克服することができました。現在の橋本さんの自信に満ちた立ち振る舞いは、過去の葛藤をすべて消化し、糧にしてきたからこそ得られたものなのです。

 

漫才師としてのプライドと今後の目標

 

M-1王者となった今でも、橋本さんの漫才に対する情熱は衰えることがありません。むしろ、王者としての責任感から、より一層ネタ作りに対してストイックになっています。劇場の出番を大切にし、常に最新の話題をツッコミに取り入れ続ける姿は、若手芸人たちの良き手本となっています。

 

今後の目標について、橋本さんは「生涯現役の漫才師」であることを掲げています。テレビのバラエティ番組での活躍も目覚ましいですが、やはり彼らの主戦場はサンパチマイクの前です。何十年後かに、かつて自分が憧れた師匠たちのように、着物やスーツを着て寄席を沸かせる存在になりたいと願っています。

 

また、後輩芸人の育成や、漫才という文化の継承にも関心を持っています。橋本さんの持つ膨大な理論と技術を、次世代に伝えていくことも、王者に課せられた使命だと感じているようです。彼の挑戦は、まだ始まったばかりです。

 

バラエティ番組で見せる新たな一面と才能

 

M-1優勝以降、橋本さんは『探偵!ナイトスクープ』の探偵役や、数々のクイズ番組、トーク番組でもその才能を発揮しています。漫才で培った瞬発力と語彙力は、フリートークの場でも存分に活かされており、番組の潤滑油として欠かせない存在になっています。

 

特に、他の芸人のエピソードに対して、的確かつ面白い例えツッコミを入れる技術は、MC陣からも重宝されています。また、橋本さん自身の少し細かい性格や、こだわりが強すぎる一面が露呈することで、新たな笑いのキャラクターも確立されました。

 

昔の相方と組んでいた時代は、「漫才で結果を出すこと」だけに集中していましたが、現在はより広い視野でエンターテインメントを捉えています。鰻さんの天然っぷりを転がしつつ、自分も美味しくなる。そんな銀シャリならではのコンビネーションは、バラエティ界においても唯一無二の武器となっています。

 

銀シャリ橋本さんと昔の相方にまつわるまとめ

 

銀シャリの橋本直さんの活躍を支えているのは、NSC時代に経験した複数のコンビ結成と解消、そして当時の相方たちとの濃密な時間でした。「ピカチュウ」の坪井さんや、後に政界へ転身した「山中橋本」の山中啓太さんなど、昔の相方との出会いと別れが、橋本さんのツッコミを鋭く、そして深いものへと成長させました。

 

自分の理想とする漫才を追求し続けた結果、運命の相方である鰻和弘さんと巡り合い、ついにはM-1グランプリ優勝という最高の栄冠を手にしました。橋本さんの代名詞である豊富な語彙力と緻密な例えツッコミは、決して一日にして成ったものではなく、かつての挫折や苦労という土壌があったからこそ大輪の花を咲かせたのです。

 

今や国民的人気漫才師となった銀シャリですが、その原点には「誰と組めば最高に面白い漫才ができるか」と真剣に悩み続けた若き日の橋本直さんがいました。過去の経験すべてを糧にし、伝統的な上方漫才を未来へと繋いでいく彼らの姿に、これからも多くのお笑いファンが熱い視線を送り続けることでしょう。銀シャリという「炊き立て」の笑いは、これからも私たちを飽きさせることなく楽しませてくれるはずです。