おぎやはぎ矢作の昔の仕事は敏腕商社マン!上海支店長まで上り詰めた異色の経歴

 

お笑いコンビ「おぎやはぎ」のツッコミとして、飄々としたスタイルで人気を集める矢作兼さん。テレビで見せるあの余裕たっぷりで洗練された雰囲気は、一体どこから来ているのでしょうか。実は、芸人になる前のおぎやはぎ矢作の昔の仕事は、海外を股にかける貿易会社のサラリーマンでした。

 

しかも、ただの会社員ではなく、弱冠23歳にして海外支店のトップを任されるほどの超エリートだったというから驚きです。多くの芸人が下積み時代に苦労する中で、彼はすでにビジネスの世界で大成功を収めていました。なぜそんな順風満帆なキャリアを捨てて、お笑いの道へと進んだのでしょうか。

 

今回は、おぎやはぎ矢作さんの昔の仕事にスポットを当て、商社マン時代の驚愕のエピソードや、相方の小木さんとの意外な共通点について詳しく解説します。これを知れば、おぎやはぎの漫才がなぜあんなに「大人で余裕があるのか」という謎が解けるはずです。

 

おぎやはぎ矢作の昔の仕事は貿易会社の超エリート営業マン

 

矢作兼さんは高校を卒業後、すぐに芸能界に入ったわけではありません。彼が最初に選んだ道は、ビルのメンテナンス用品や建築資材などを扱う貿易会社への就職でした。ここでは、彼がどのようにしてビジネスの世界に足を踏み入れ、頭角を現していったのかを紐解いていきましょう。

 

「ビインチ」という貿易会社でのスタート

 

矢作さんが入社したのは「ビインチ」という名前の貿易会社でした。主にビルのメンテナンス用品や建具などを輸入・販売する会社で、決して大企業ではありませんでしたが、少数精鋭の活気ある職場だったようです。矢作さんはそこで営業職として採用されました。

 

実は入社試験の際、矢作さんは「僕から英語を取ったら何も残りません」と豪語して合格を勝ち取ったという伝説があります。しかし、実のところ当時の彼は全く英語が話せませんでした。この大胆な嘘を堂々とついてしまうあたりに、現在の芸風にも通じる強心臓ぶりが伺えます。

 

入社初日に「この分厚いボイラーの取扱説明書を訳してくれ」と頼まれた際は、辞書を片手に丸一日かけてたった1ページしか進まなかったそうです。それでも持ち前の愛嬌とコミュニケーション能力で、周囲を味方につけてしまうのが矢作さんの凄いところです。

 

電話対応一本で社長を虜にした伝説

 

矢作さんが社内で注目されるようになったきっかけは、ある日の喫煙所での出来事でした。隣の部屋で矢作さんが電話対応をしていたところ、たまたま喫煙所にいた会社の社長がその声を聞いていたのです。その淀みのない丁寧な受け答えに、社長は一目惚れしてしまいました。

 

社長は「あんなに話が上手い奴は誰だ?」と驚き、すぐに矢作さんを呼び出したといいます。まだ入社して間もない新入社員でしたが、その卓越した対人スキルとスマートな振る舞いは、海千山千の経営者から見ても突出した才能として映ったのでしょう。

 

この一件以来、矢作さんは社長のお気に入りとなり、重要な交渉の場にも同行するようになります。取引先とのトラブルが起きても「矢作を呼べば丸く収まる」と言われるほど、社内での信頼を確かなものにしていきました。まさに天性の営業マンだったと言えます。

 

圧倒的な営業成績と「人たらし」の才能

 

貿易会社での矢作さんは、常にトップクラスの営業成績を誇っていました。彼が扱っていたのは建築資材など、専門的な知識が必要な商品でしたが、本人は後年「商品には全く興味がなかった」と語っています。興味がないものを売るというのは、営業マンとして最も難しいことです。

 

それにもかかわらず実績を出し続けたのは、彼が「商品を売るのではなく、自分を売っていた」からに他なりません。相手の懐にスッと入り込み、いつの間にか好かれてしまう。そんな「人たらし」の才能が、ビジネスの現場で最大限に発揮されていたのです。

 

矢作兼さんの商社マン時代の特徴
・入社面接で「英語ペラペラ」と嘘をついて合格
・電話対応が素晴らしすぎて社長にスカウトされる
・商品に興味はないが、営業成績は常にトップクラス

 

上海で支店長に!?商社マン時代の驚きのエピソード

 

矢作さんの活躍は国内にとどまりませんでした。社長からの全幅の信頼を得た彼は、さらなるキャリアアップを果たすことになります。それが中国・上海への赴任でした。20代前半という若さで、海外支店の責任者を任されることになったのです。

 

23歳という若さで上海支店長に抜擢

 

矢作さんは社長から直々に「上海の支店を任せたい」と打診されます。当時の上海は経済発展の真っ只中で、多くの日本企業が進出していました。そんな重要な拠点のトップに、まだ20代前半の若手を据えるというのは異例中の異例と言える人事です。

 

上海での生活は、現在の芸人としての立ち振る舞いにも大きな影響を与えています。現地スタッフをまとめ上げ、言葉の壁を越えてビジネスを成立させる。そんな過酷な環境を涼しい顔で乗り切った経験が、彼の圧倒的な「動じない心」を作り上げたのかもしれません。

 

支店長という肩書きは、周囲からのリスペクトを集める一方で、多大な責任も伴います。しかし矢作さんは、そこでもプレッシャーを感じる様子を見せず、現地の経営者たちと対等に渡り合っていました。まさにエリート街道を突き進んでいた時代です。

 

言葉が通じない中での強引なビジネス手法

 

上海支店長時代、矢作さんは現地の言葉を完璧にマスターしていたわけではありませんでした。入社時の「英語ができる」という嘘に続き、中国語についてもかなり怪しい状態だったといいます。しかし、彼は独自の「雰囲気」で全てを解決してしまいました。

 

重要な会議でも、相手の言っていることが半分くらいしか分からなくても、自信たっぷりに相槌を打ち、最後にガッチリと握手をする。すると、なぜか契約が成立してしまうという現象が多発したそうです。これは言語を超えた「信頼感」を相手に与える才能があった証拠です。

 

矢作さん本人は「適当にやっていただけ」と笑い飛ばしますが、実際には相手の顔色や空気感を完璧に読み取っていたはずです。非言語コミュニケーション能力において、彼はすでにプロフェッショナルの域に達していたと言えるでしょう。

 

当時の年収とスカウトの嵐

 

海外支店長という役職に加え、圧倒的な営業成績を上げていた当時の矢作さんは、かなりの高給取りでした。正確な金額は明かされていませんが、本人の口からは「20代前半では考えられないほどもらっていた」というエピソードがたびたび語られています。

 

また、その手腕は他社からも高く評価されており、取引先の社長から「うちに来ないか」と引き抜きの誘いを受けることも珍しくありませんでした。もしそのままサラリーマンを続けていれば、今頃はどこかの企業の重役になっていた可能性も十分にあります。

 

矢作さんは商社マン時代、常に高級ブランドの服に身を包み、洗練されたファッションを楽しんでいました。その当時の名残が、現在のおしゃれ芸人としてのこだわりにも繋がっています。

 

相方の小木も昔の仕事は会社員!異色の経歴を持つ二人

 

おぎやはぎが他のコンビと一線を画しているのは、相方の小木博昭さんもまた、しっかりとした社会人経験を持っていたという点です。二人は高校の同級生ですが、卒業後はそれぞれの道を歩み、社会の荒波に揉まれていました。

 

小木さんはオリエンタルランドや旅行代理店に勤務

 

小木さんの経歴もまた非常にユニークです。彼はかつて「オリエンタルランド」に入社し、東京ディズニーシーの立ち上げに関わる幹部候補生として働いていました。ディズニーシーの開園が遅れたことで退社しましたが、あの「おもてなしの心」の源流はここにあるのかもしれません。

 

その後は旅行代理店に転職し、ハワイの支店に赴任。そこでVIP顧客の対応を任されるという、これまたハイレベルな仕事をしていました。ハワイでセレブを相手にしていた経験があるからこそ、小木さん特有の「上から目線なのに憎めない」キャラクターが形成されたのでしょう。

 

矢作さんが貿易商社、小木さんが旅行代理店。二人とも海外を舞台にした仕事を経験していたという共通点があります。このバックボーンがあるからこそ、おぎやはぎの会話にはどこか「グローバルで俯瞰的な視点」が混ざるのです。

 

「サラリーマンの星」と呼ばれる二人の共通点

 

おぎやはぎは、お笑いファンだけでなくビジネスマンからも高い支持を得ています。それは二人が「組織の中でうまく立ち回る術」を身をもって知っているからです。彼らの漫才で見せる絶妙な掛け合いは、会議やプレゼンの場でも応用できるテクニックが満載です。

 

特に矢作さんの「相手を褒めて気分良くさせる」技術や、小木さんの「空気をあえて読まないふりをして核心を突く」手法は、まさに熟練のサラリーマンが使う高等戦術そのもの。社会人を経験してから芸人になった彼らだからこそ、大人の心に響く笑いが作れるのです。

 

また、二人は決して「芸人として売れてやる!」というギラギラした執着を見せません。この「最悪、別の仕事でも食っていける」という余裕が、視聴者に安心感を与え、今の唯一無二のポジションを築く要因となりました。

 

会社員時代のスキルがコンビのカラーを作った

 

おぎやはぎの漫才は、よく「脱力系」や「褒め合い」と形容されます。これは、声を張り上げて必死に笑いを取る従来のスタイルとは対極にあります。この余裕のあるスタイルは、間違いなく彼らのサラリーマン時代の経験が反映されています。

 

ビジネスの現場では、必死すぎる人間よりも、余裕を持ってスマートに振る舞う人間の方が信頼される傾向にあります。二人はその原理を熟知しており、それをそのままお笑いの舞台に持ち込んだのです。「頑張りすぎないことが格好いい」という価値観は、まさに大人な二人の真骨頂です。

 

小木博昭さんの主な職歴
・オリエンタルランド(ディズニーシー幹部候補)
・旅行代理店(ハワイ勤務・VIP対応担当)
・タワーレコード(輸入盤の買い付け担当)

 

なぜ辞めた?エリートサラリーマンから芸人への転身理由

 

誰が見ても成功していた矢作さんのサラリーマン人生。しかし、23歳の時に彼は突然そのすべてを投げ打って、お笑い芸人になることを決意します。安定した高収入と輝かしい将来を捨ててまで、なぜ茨の道を選んだのでしょうか。

 

仕事への「飽き」と小木さんへの確信

 

矢作さんが仕事を辞めた最大の理由は、意外にも「飽きてしまったから」だと言われています。扱う商品に全く興味が持てず、ルーチンワークのように営業成績を上げ続ける日々に、どこか物足りなさを感じていました。「自分にはもっと面白いことができるはずだ」という直感がありました。

 

そんな時、彼の頭に浮かんだのが親友である小木さんの存在です。高校時代から小木さんの面白さを誰よりも認めていた矢作さんは、「小木と一緒に組めば、お笑い界でも絶対に成功できる」という根拠のない、しかし確固たる自信を持っていました。

 

矢作さんは当時ハワイで働いていた小木さんに国際電話をかけ、「お笑いでもやらないか?」と誘います。最初は渋っていた小木さんも、矢作さんの熱心な説得に折れ、二人は1995年にお笑いコンビ「おぎやはぎ」を結成することになりました。

 

「飢えていない」という独自のスタイル

 

彼らが芸人になった時、すでに年齢は20代半ば。多くの芸人が10代後半から養成所に入る中で、遅咲きのスタートでした。しかも、二人とも社会人で成功していたため、貯金も十分にあり、「売れなければ食べていけない」というハングリー精神が全くありませんでした。

 

当時の若手芸人は、みんなが必死に個性を主張し、目立とうと必死でした。そんな中で「別に売れなくてもいい」「ただ友達と楽しく喋りたいだけ」というスタンスの二人は、周囲の芸人やスタッフから異様な存在として映りました。しかし、その「ガツガツしていない感じ」が、逆に新しさとして受け入れられたのです。

 

矢作さんの戦略は、ここでも見事に的中します。無理に周囲に合わせるのではなく、自分たちが一番面白いと思う「仲良しの雑談」を追求する。それが、後に多くのフォロワーを生むことになるおぎやはぎ独自のスタイルの原点となりました。

 

人力舎のマネージャーとの運命的な出会い

 

結成当初の彼らは事務所にも所属せず、フリーで活動していました。そんな二人を見出したのが、現在の所属事務所であるプロダクション人力舎の女性マネージャーです。彼女は二人の漫才を見て「これこそが新しいお笑いだ」と確信し、強引にスカウトしました。

 

当時の事務所内では、ボケとツッコミがハッキリしない彼らのスタイルを否定する声も多かったそうです。しかし、そのマネージャーが「私が全責任を持つから」と周囲を説得し、所属が決まりました。矢作さんの商社マン時代の「上司に好かれる力」が、ここでもプラスに働いたのかもしれません。

 

こうして、エリートサラリーマンから芸人へと華麗なる転身を遂げた矢作さん。彼の人生において、商社マン時代の3年間は、単なる寄り道ではなく、最強の武器を手に入れるための修業期間だったと言えるでしょう。

 

おぎやはぎは、結成からわずか数年で「M-1グランプリ」のファイナリストに残るなど、急速に頭角を現します。下積みの苦労話がほとんどないのも、彼ららしい特徴です。

 

現在の芸風にも活かされているビジネススキルと人間力

 

現在の矢作さんは、バラエティ番組のMCやコメンテーターとして欠かせない存在です。テレビの中で彼が発揮している卓越した調整能力や、誰からも好かれるキャラクターの裏には、間違いなく商社マン時代の経験が息づいています。

 

MCとしての調整能力と「回し」の技術

 

矢作さんの番組進行(回し)は、非常にスムーズでストレスを感じさせません。これは、商社マン時代に身につけた「相手の意図を汲み取る力」がベースになっています。ゲストが何を言いたいのか、スタッフが何を求めているのかを瞬時に察知し、最適なパスを出すことができます。
また、どんなに荒れた現場でも決して声を荒らげたりせず、笑顔で収めてしまう姿は、かつて取引先のトラブルを解決していた敏腕営業マンの姿と重なります。強引に仕切るのではなく、周囲をその気にさせて自然に動かす。これこそが矢作流のマネジメント術です。

 

彼がMCを務める番組では、不思議と共演者がリラックスして、普段は見せないような素の表情を見せることが多いと言われます。それは矢作さんが作り出す「否定しない空気」のおかげであり、ビジネスにおけるコーチングの技術にも通じるものです。

 

「NO」と言わせない交渉術と好感度

 

矢作さんは、毒舌を吐いても決して嫌われないという稀有な特質を持っています。相方の小木さんが失礼なことを言っても、矢作さんが横で「ひどいこと言うなよ〜」と笑いながらフォローすることで、現場が嫌な空気にならないのです。これは、ビジネスにおけるリスク管理の極致と言えるでしょう。

 

また、彼は先輩芸人からも後輩芸人からも絶大な信頼を寄せられています。礼儀を重んじつつも、相手の懐にスッと入っていく。この距離感の取り方は、海外で支店長を務め、多様な価値観を持つ人々と接してきた経験があるからこそできる技です。

 

どんなに成功しても偉ぶることなく、常に「ただの眼鏡をかけたおじさん」として振る舞う謙虚さ。これもまた、本物のエリートが持つ余裕の表れです。視聴者はその裏にある知性を感じ取るからこそ、彼の言葉に耳を傾けるのです。

 

多趣味を仕事に繋げる「セルフプロデュース」

 

矢作さんは、ゴルフや車、時計、キャンプなど、非常に多くの趣味を持っています。そして、それらをすべて仕事に繋げています。これは、ただの遊びではなく、自分の価値を高めるための「戦略的投資」として機能しています。

 

商社マン時代に、商品そのものよりも「共通の話題」で取引先との関係を深めていた経験が、現在のタレント活動にも活かされています。趣味を通じて様々なジャンルの著名人と繋がり、その人脈がまた新しい仕事を生んでいく。このビジネスライクなサイクルは、非常に近代的です。

 

「仕事を楽しむ」のではなく「楽しんでいる姿を仕事にする」。この逆転の発想ができるのも、かつてビジネスの最前線で数字を追いかけていた経験があるからこそ。矢作兼という男は、芸人という皮を被った最強のビジネスパーソンなのかもしれません。

 

能力 商社マン時代の活用 芸人としての活用
コミュニケーション 新規顧客の開拓・トラブル解決 番組のMC・ゲストの引き出し
セルフブランディング 「英語ができる」演出での信頼獲得 おしゃれで余裕のある大人な芸風
マネジメント 上海支店スタッフの統括 コンビの戦略立案・後輩の育成

 

まとめ:おぎやはぎ矢作の昔の仕事と成功の秘訣

 

おぎやはぎ矢作の昔の仕事を振り返ると、彼がいかにして現在の唯一無二のポジションを築き上げたのかが見えてきます。20代前半で貿易会社の上海支店長を任されるほどのエリートだった彼は、その時代に「人たらし」の才能と、圧倒的なコミュニケーション能力を磨き上げました。

 

相方の小木さんもまた、旅行代理店などで社会人経験を積んでおり、コンビ揃って「組織を知る大人」だったことが、彼らの漫才に深みと余裕を与えています。安定したキャリアを捨てて、あえてお笑いの世界に飛び込んだ勇気と、自分たちの面白さを信じ抜いた戦略眼こそが、成功の最大の秘訣だったと言えるでしょう。

 

必死に汗をかくだけがお笑いではない。ビジネススキルを武器に、スマートに、そして楽しく。おぎやはぎが私たちに見せてくれる「大人の余裕」は、これからも多くの人々に元気と笑いを与え続けてくれるはずです。これからの矢作さんのさらなる活躍からも、目が離せません。