バカリズムのコンビ時代と相方を解明!ピン芸人になるまでの足跡

 

シュールなコントや独創的なフリップ芸、さらには脚本家としても圧倒的な才能を見せるバカリズムさん。現在はソロとして多方面で大活躍されていますが、実はデビュー当初はコンビだったことをご存じでしょうか。バカリズムという名前はもともとコンビ名であり、そこには今の芸風の基礎を築いた相方の存在がありました。

 

この記事では、バカリズムさんのコンビ時代を支えた相方の正体や、なぜ解散という道を選んだのか、その知られざる舞台裏を優しく紐解いていきます。当時のネタの評価や、解散後の二人の関係性についても詳しく解説します。これを知れば、現在のバカリズムさんの活躍がより深く、面白く感じられるはずです。

 

バカリズムのコンビ時代と相方・松下敏宏さんのプロフィール

 

今や「バカリズム」といえば升野英知さん個人の名前として定着していますが、2005年までは二人組のユニット名でした。バカリズムさんのコンビ時代を知るファンにとっては懐かしく、最近ファンになった方にとっては驚きの事実かもしれません。まずは、当時の相方である松下敏宏(まつした としひろ)さんについて詳しく見ていきましょう。

 

コンビ名がそのまま個人名になった理由

 

バカリズムという名前は、1995年に結成されたコンビ名そのものです。2005年に相方の松下さんが脱退した後、升野さんは名前を変えることなくピン芸人として活動を継続しました。その理由は、これまで「バカリズム」として積み上げてきた実績や知名度をリセットしてしまうのがもったいないと考えたからだそうです。

 

お笑い界ではコンビを解消する際、新しい芸名に変えるのが一般的ですが、升野さんはあえてそのままの名前で勝負することを選びました。この決断があったからこそ、私たちは今も「バカリズム」という独特の響きを持つ名前を耳にすることができているのです。ピンになってもコンビ名を名乗り続けるスタイルは、当時の芸人界では非常に珍しいケースでした。

 

現在では「バカリズム」が個人名として完全に浸透していますが、その背景にはコンビ時代の歴史を大切にしたいという升野さんの思いも隠されているのかもしれません。初期のファンの中には、今でも升野さんのことを「升野くん」と本名ベースで呼ぶ人がいるのも、コンビ時代の名残を感じさせます。

 

相方の松下敏宏さんはどんな人物だった?

 

バカリズムさんの元相方である松下敏宏さんは、静岡県出身の男性です。コンビ時代は主にツッコミを担当しており、升野さんの描く独特でシュールな世界観を、冷静かつ的確な言葉で支えていました。松下さんは、同期のビビる大木さんから「ブルース・リーに似ている」と言われたことがきっかけで、「ブルース」というあだ名で親しまれていたそうです。

 

当時の映像や写真を見ると、松下さんは非常にシュッとしたルックスで、どこか知的な雰囲気を漂わせています。升野さんの尖ったボケに対して、温度感を合わせながらツッコミを入れるスタイルは、当時の若手芸人の中でも評価が高かったといいます。松下さんは表舞台で目立つタイプではありませんでしたが、バカリズムというユニットのバランスを取る上で欠かせない存在でした。

 

また、松下さんは現場での雑用やスタッフとのコミュニケーションなど、制作以外の実務面でも升野さんを支えていたようです。升野さんがネタ作りに100%集中できる環境を作っていたのは、間違いなく相方の松下さんでした。二人の役割分担が明確だったからこそ、あの唯一無二のネタが生まれていたのでしょう。

 

【元相方・松下敏宏さんのプロフィール】

項目 内容
名前 松下 敏宏(まつした としひろ)
生年月日 1974年4月4日
出身地 静岡県
担当 ツッコミ
ニックネーム ブルース

 

二人の出会いは日本映画学校の同級生

 

升野さんと松下さんが出会ったのは、多くの著名な芸人を輩出している「日本映画学校(現在の日本映画大学)」でした。俳優科に在籍していた二人は、学校の授業の中で偶然コンビを組まされたことがきっかけで意気投合し、1995年に「バカリズム」を結成することになります。最初から芸人を目指して組んだというよりは、学校の流れで自然と始まった形でした。

 

ちなみに、結成当初のコンビ名は「きくらげ」という名前だったというエピソードもあります。その後、現在の「バカリズム」に改名されましたが、この名前自体に深い意味はなく、語感の良さで選ばれたようです。日本映画学校の卒業生にはウッチャンナンチャンなどの大先輩がおり、彼らへの憧れも芸人を目指す原動力の一つになっていたといいます。

 

学生時代からすでに升野さんの才能は光っており、松下さんはその才能に惚れ込んでいた側面もあったのかもしれません。二人は卒業後、マセキ芸能社に所属し、プロの芸人としての道を歩み始めます。学校の同級生からプロのパートナーへと関係性が変わっていく中で、バカリズムというユニットは徐々に磨かれていきました。

 

日本映画学校は、脚本や演出など「作る側」の教育も盛んな学校です。バカリズムさんが現在、脚本家として高く評価されているのも、この学生時代に学んだ基礎が大きく影響していると言われています。

 

コンビとしての活動内容と当時の芸風

 

バカリズムさんはコンビ時代から、他の若手芸人とは一線を画す「シュールで知的なコント」を展開していました。1990年代後半から2000年代前半にかけて、お笑い番組の黄金期に活動していた彼らは、どのような評価を受けていたのでしょうか。当時の活動を振り返ると、現在のスタイルの原石があちこちに見つかります。

 

シュールで独特な世界観のコント

 

コンビ時代のバカリズムさんのネタは、日常の何気ない風景を独自の角度から切り取り、それを徹底的にデフォルメするスタイルが中心でした。升野さんが作り出す脚本は、理屈っぽくて少し意地悪、だけどどこか可愛らしいキャラクターが登場するものが多く、松下さんがそれを冷静に捌いていく形式です。

 

代表的なネタには、タクシーの運転手と客のやり取りを描いたものや、学校の屋上での会話劇などがありました。当時から「言葉遊び」や「論理の飛躍」を得意としており、観客に考えさせるタイプのお笑いでした。決して大声を張り上げたり、体当たりの芸を見せたりするのではなく、静かなトーンでじわじわと笑いを増幅させていく手法は、当時から玄人好みとされていました。

 

特に、升野さんが演じる執拗なまでのこだわりを持つキャラクターは、現在の「トツギーノ」や「都道府県の持ちかた」に通じる狂気を感じさせます。松下さんは、その狂気を一般常識の範囲内に留めるための「壁」のような役割を果たしており、二人の温度差が独特のユーモアを生んでいました。今のバカリズムさんのネタが好きな人なら、コンビ時代のコントも間違いなく楽しめるはずです。

 

若手時代の出演番組と世間の評価

 

バカリズムさんは若手時代、当時絶大な人気を誇ったネタ番組『爆笑オンエアバトル』などで活躍していました。この番組は観客の投票によって放送が決まる厳しいシステムでしたが、バカリズムさんはコンスタントに好成績を収め、チャンピオン大会にも出場するほどの実力派として知られていました。

 

また、『エンタの神様』や『笑いの金メダル』といった全国ネットの番組にも出演しており、お笑いファンの間では「バカリズムは面白い」という評価が定着していました。しかし、お茶の間で爆発的にヒットするような分かりやすいキャラクターやリズムネタを持っていなかったため、業界評価の高さに反して、一般的な知名度が飛躍的に上がるまでには時間がかかりました。

 

当時の芸人仲間や番組スタッフからは、「発想が天才的」「誰も思いつかない設定を作る」と絶賛されていました。しかし、あまりにもシュールすぎたためか、テレビ番組の制作側からは「使いどころが難しい」と思われることもあったようです。売れっ子への階段を登りつつも、あと一歩のところで足踏みしていた時期が長く続きました。

 

【コンビ時代の主な出演番組】

  • 爆笑オンエアバトル(NHK)
  • エンタの神様(日本テレビ)
  • 笑いの金メダル(朝日放送)
  • 笑う犬の生活R(フジテレビ)
  • バクマリヤ(フジテレビ)

 

マセキ芸能社への所属と成長

 

バカリズムさんが所属しているマセキ芸能社は、内村光良さん(ウッチャンナンチャン)や出川哲朗さんといった大物が所属する老舗の事務所です。日本映画学校の先輩であるウッチャンナンチャンと同じ事務所に入ったことは、彼らにとって大きな意味がありました。事務所のカラーとしても、王道の漫才よりは個性的なコントや芸を推奨する土壌がありました。

 

下積み時代の二人は、風呂なしのアパートで暮らしながらアルバイトに明け暮れる、いわゆる典型的な若手芸人の生活を送っていました。升野さんは30歳になるまでカラオケボックスでアルバイトを続けており、決して順風満帆なスタートではありませんでした。しかし、事務所のライブなどで着実に力をつけ、独自のファン層を広げていきました。

 

この時期に培われた「誰とも被らないネタを作る」という信念は、マセキ芸能社の自由な校風があったからこそ守られたのかもしれません。松下さんと共に試行錯誤を繰り返した10年間は、今のバカリズムさんの土台となる「観察眼」と「構成力」を徹底的に鍛え上げる修行の期間でもありました。事務所の先輩たちからも可愛がられ、芸人としての資質を高く評価されていました。

 

2005年のコンビ解消と相方の引退理由

 

2005年11月、バカリズムさんは突如としてコンビ解消を発表しました。結成から10年という節目での決断に、多くのお笑いファンが衝撃を受けました。なぜ、実力派として知られていた二人が別々の道を歩むことになったのでしょうか。その真相は、ネガティブな喧嘩別れではなく、それぞれの人生を見据えた前向きな選択でした。

 

突然の発表だったコンビ活動の終了

 

コンビ解消のニュースは、2005年11月30日をもって松下さんがユニットを脱退するという形で発表されました。当時はまだネットニュースも今ほど盛んではありませんでしたが、お笑いライブの現場やファンの間では大きな話題となりました。10年間活動を続けてきた相棒がいなくなることは、升野さんにとっても人生の大きな転機となりました。

 

解散の直前までコンビでの仕事は続いており、周囲からは順調に見えていたため、突然の発表に驚く関係者も多かったようです。しかし、本人たちの間では以前から将来についての話し合いが持たれていました。升野さんは「バカリズム」という看板を守り抜くことを決め、松下さんは別の人生を歩むことを決意したのです。

 

最後のライブ出演時には、すでにピン芸人としての道を歩み始める覚悟を決めていたといいます。升野さんは後に、「解散が決まった数ヶ月前から、一人でやっていくためのネタを考え始めていた」と明かしています。コンビとしてのバカリズムはここで終わりを告げましたが、それは新しい伝説の始まりでもありました。

 

相方の松下さんが芸能界を引退した背景

 

松下敏宏さんが脱退を決めた最大の理由は、将来への不安と自身の限界を感じたことでした。30歳という年齢を迎え、これからの人生を考えた時に「自分は芸人として一生やっていけるのか」という疑問が強くなったといいます。どれだけ努力しても思うように売れない現状に対し、精神的な疲れを感じていた側面もあったようです。

 

升野さんの類まれなる才能を一番近くで見てきた松下さんだからこそ、自分との才能の差を意識してしまったのかもしれません。松下さんは「升野は一人でも絶対にやっていける。むしろ自分の存在が彼の足を引っ張っているのではないか」という思いを抱くようになったとも伝えられています。これは、相方の才能を信じ切っていたからこその、切ない決断でした。

 

松下さんはコンビ解消と同時に、所属事務所のマセキ芸能社も退所し、芸能界を完全に引退しました。芸人としての道を諦めるのではなく、一区切りをつけて新しい社会人としての道を歩むことを選んだのです。引退後の松下さんは一般の方として生活されており、メディアの前に姿を見せることは一切ありませんでした。

 

松下さんの引退理由は、ネガティブなものではなく「自分の適性を見極めた上での自立」という意味合いが強かったようです。お互いをリスペクトしていたからこそ、引き止めるのではなく送り出す形になりました。

 

バカリズムが名前を残してピンで活動した決断

 

相方が引退した後、升野さんは「バカリズム」という名前を一人で背負うことにしました。これにはいくつかの深い理由がありました。一つは先述の通り知名度の維持ですが、もう一つは「バカリズムという概念を自分が作った」という強い自負があったからです。コンビ時代のネタのほとんどは升野さんが書いており、その世界観を捨てる必要はないと判断しました。

 

また、松下さんが去った後の「バカリズム」を守り続けることが、かつての相棒への恩返しになるとも考えていたのかもしれません。ピン芸人として再スタートを切った升野さんは、名前こそ変えませんでしたが、芸風には劇的な変化をもたらしました。一人で舞台に立つ制約を逆手に取り、フリップや音楽、映像を駆使した独自のソロスタイルを確立していったのです。

 

この決断が功を奏し、ピンになってわずか数ヶ月後に出場した『R-1ぐらんぷり2006』で、彼は一気にブレイクを果たすことになります。「バカリズム」という名前はそのままに、中身が劇的に進化した瞬間でした。もし名前を変えていたら、これほどスムーズな再スタートは難しかったかもしれません。

 

ピン芸人なのにコンビ名のような名前を名乗っている芸人さんは他にもいます(劇団ひとりさんなど)。しかし、コンビ名をそのまま個人名として引き継いだ例としては、バカリズムさんが最も有名な成功例と言えるでしょう。

 

現在のバカリズムと元相方・松下さんの関係性

 

コンビを解消してから20年近くが経過しましたが、今のバカリズム(升野)さんと元相方の松下さんはどのような関係にあるのでしょうか。芸能界と一般社会という、全く異なる場所で生きる二人ですが、時折語られるエピソードからは、かつての強い絆を感じることができます。

 

解散後に語られたエピソードと交流

 

松下さんは引退後、完全に一般人となったため、二人がプライベートで頻繁に会っているという話はあまり表には出てきません。しかし、升野さんはラジオ番組やインタビューなどで、度々松下さんの名前を出して思い出話を語ることがあります。それは決して嫌な思い出ではなく、当時の自分たちの青臭さを笑い飛ばすような、温かい語り口です。

 

升野さんは、解散直後の寂しさについて「一人になってからの方が自由になれたけど、楽屋で話し相手がいないのは最初は違和感があった」と振り返っています。また、松下さんが引退後、どのような仕事に就いているのかについては詳しく明かされていませんが、真面目な彼のことだからどこかでしっかりやっているはずだ、という信頼を寄せています。

 

現在でも時折、共通の知人を介して連絡を取り合ったり、松下さんがバカリズムさんの活躍を陰ながら応援していたりするという話もあります。二人の間には、10年間共に戦った戦友としての敬意が今も残っているようです。コンビを解消したからといって、共有した時間が消えるわけではないことを教えてくれます。

 

バカリズムが番組で元相方に触れる瞬間

 

バカリズムさんはバラエティ番組などで、「元相方は今何をしているのか?」と聞かれるシーンがたまにあります。そんな時、彼は決まって「今は一般の人として平和に暮らしています」と答え、松下さんの現在の生活を尊重する姿勢を見せています。元相方をネタにして笑いを取ることもほとんどなく、大切に扱っている印象を受けます。

 

かつて『アメトーーク!』の「元コンビ組んでた芸人」のような企画でも、松下さんのエピソードが少しだけ紹介されたことがありました。升野さんは「あいつは本当にいいやつだった」「仕事の調整を全部やってくれていた」と、相方としての能力を高く評価する発言をしていました。自分一人では今の地位を築けなかったという感謝の念が、随所に滲み出ています。

 

また、コンビ時代の古い映像が番組で使われる際も、升野さんは少し照れくさそうにしながらも、当時の自分たちのネタを客観的に解説します。松下さんのツッコミについても「ここはもっとこう言うべきだった」と当時の演出論を語るなど、引退した相方を今でも一人の「バカリズムのメンバー」として認めていることが伺えます。

 

芸能界を離れた松下さんのその後

 

松下敏宏さんは現在、50歳近い年齢になっているはずですが、一般社会でどのようなキャリアを積まれているのでしょうか。具体的な職業については公表されていませんが、一部の噂では、静岡の実家に戻られたり、サラリーマンとして責任ある立場に就かれたりしていると言われています。芸能界という特殊な環境で10年生き抜いた経験は、きっと今の生活にも活きていることでしょう。

 

松下さんは引退の際、「二度と芸能界には戻らない」という不退転の決意をしていたそうです。実際にその後、一度も表舞台に復帰することはなく、潔いまでの引き際を見せました。升野さんがこれほどまでに大スターになった今でも、その人気に便乗しようとする気配すらありません。その誠実さこそが、松下敏宏という人物の最大の魅力なのかもしれません。

 

一方で、かつての同期や先輩芸人たちの間では、今でも「ブルースはどうしてるかな」と話題に出ることがあるそうです。周囲に愛されていた松下さんだからこそ、引退後も多くの人の心に残っています。バカリズムさんの活躍を見るたびに、かつての相棒である松下さんも、自分の決断が正しかったと誇らしく感じているのではないでしょうか。

 

【コンビ解消後の二人の軌跡】

人物 活動内容 現状
升野英知 ピン芸人として続行 脚本家、マルチタレントとして大成功
松下敏宏 芸能界を引退 一般人として生活(表舞台への復帰なし)

 

ピン芸人「バカリズム」としての大躍進と進化

 

松下さんが脱退し、一人きりになった「バカリズム」は、そこから驚異的なスピードで進化を遂げました。相方がいないという状況を逆手に取り、自分の頭の中にあるアイデアを100%具現化できるようになった升野さんは、瞬く間にお笑い界のトップへと駆け上がっていきます。コンビ解消は、彼の才能を完全に解き放つための最後のステップだったのかもしれません。

 

R-1ぐらんぷりでの活躍と「トツギーノ」

 

ピンになってからわずか数ヶ月、バカリズムさんは『R-1ぐらんぷり2006』の決勝に進出しました。そこで披露されたのが、後に彼の代名詞となるフリップ芸「トツギーノ」です。イラストと言葉の妙、そして完璧なリズム感で展開されるこのネタは、お茶の間に強烈なインパクトを与え、一晩でバカリズムの名前を全国区に押し上げました。

 

「トツギーノ」のヒットにより、それまでの「シュールで難しい」というイメージが、「キャッチーで面白い」というものに書き換えられました。しかし、升野さんはこれに満足することなく、さらに「都道府県の持ちかた」や「贈るほどでもない言葉」など、次々と新しい切り口のフリップ芸を生み出していきます。R-1では合計4回の決勝進出を果たし、ピン芸人としての地位を不動のものにしました。

 

コンビ時代には、松下さんという「フィルター」を通して表現していたものを、フリップという「ツール」を使って表現するようになったことで、升野さんの独創性はより純度高く観客に届くようになりました。松下さんが「升野は一人の方が面白い」と予見したことが、見事に証明された形となりました。一人になった孤独が、彼を最強のクリエイターへと変えたのです。

 

脚本家やマルチタレントとしての才能開花

 

2010年代に入ると、バカリズムさんの活動は芸人の枠を大きく飛び越えていきます。ドラマ『素敵な選TAXI』や『架空OL日記』、そして映画『地獄の花園』などの脚本を担当し、日本アカデミー賞や向田邦子賞を受賞するなど、脚本家としても超一流の評価を受けるようになりました。この物語を構成する力は、間違いなくコンビ時代のコント作りで培われたものです。

 

また、『IPPONグランプリ』での圧倒的な大喜利力や、『バズリズム02』での軽妙なMCなど、多才な活躍を見せています。彼の笑いは常に冷静で客観的であり、自分自身を演じるキャラクターとして使い分ける術に長けています。かつては相方に任せていた「対外的な調整」も、今では自分自身の言葉で堂々とこなしており、一人の表現者として完成された姿があります。

 

現在では「天才」と呼ばれることも多いバカリズムさんですが、その根底にあるのは、コンビ時代の売れない時期からずっと変わらない「面白さへの執着」です。どんなに忙しくなっても毎年単独ライブを欠かさず開催する姿勢は、ライブシーンを大切にしていたコンビ時代からの誇りを感じさせます。彼の進化は、今も止まることを知りません。

 

バカリズムさんの脚本作品には、コント的なワンシチュエーションでの会話の面白さが凝縮されています。これは、彼が芸人としてのキャリアを大切にしているからこそ生まれる独自の強みです。

 

コンビ時代の経験が今の芸風に与えた影響

 

現在のバカリズムさんの活躍を見ると、コンビ時代の10年間が決して無駄ではなかったことがよく分かります。松下さんと共に、テレビとライブのギャップに悩み、どうすれば自分たちの笑いが伝わるかを模索し続けた日々が、今の「伝える技術」に直結しています。升野さん自身も、ピンになってからの成長の要因を「コンビ時代の蓄積があったから」と語っています。

 

もし最初からピン芸人として活動していたら、松下さんのような「常識人の視点」をこれほど深く理解することは難しかったかもしれません。現在のネタや脚本の中で、狂気的な設定の中に絶妙なリアリティが共存しているのは、相方とのやり取りを通じて「客観的な視点」を身につけた結果です。松下さんは、升野さんにとって最高の観客であり、批評家でもありました。

 

また、コンビ解消という大きな喪失を経験したことで、升野さんは「自分一人で全責任を負う」というプロ意識をより一層強めました。相方が去った後も「バカリズム」を名乗り続けることは、ある種の十字架でもありましたが、それが彼を妥協させない力になったことは間違いありません。二人の歴史があったからこそ、今の孤高の天才・バカリズムが存在しているのです。

 

バカリズムさんのライブDVDなどを遡って見ると、コンビ時代のネタが一人用にアレンジされて披露されていることもあります。ファンの方は、その違いを探してみるのも面白いかもしれません。

 

バカリズムのコンビ時代と相方の歴史を振り返って

 

バカリズムさんのコンビ時代と、元相方・松下敏宏さんの物語を振り返ってきました。今はピン芸人として圧倒的な輝きを放つバカリズムさんですが、その成功の裏には、10年間共に走り続け、最後は背中を押して去っていった相方の存在がありました。

 

二人の関係は、単なるビジネスパートナー以上の、リスペクトに基づいた絆で結ばれていました。松下さんが引退という道を選び、升野さんが名前を守り抜く決断をした。この二つの決断が重なったことで、お笑い界に「バカリズム」という不世出の才能が確立されました。

 

今度テレビでバカリズムさんを見かけた時は、ぜひ彼の名前がかつては「二人組のユニット名」であったことを思い出してみてください。そして、画面に映る彼の圧倒的なパフォーマンスの背後に、かつて共に笑いを作った「ブルース」こと松下さんの面影を感じてみると、彼の芸がより一層深みを持って見えるはずです。バカリズムという歴史は、今もなお更新され続けています。