笑い飯・哲夫の前の相方は兼光タカシ!元コンビ「スキヤキ」の解散理由や現在の関係を詳しく解説

 

M-1グランプリで9年連続決勝進出という前人未到の記録を持ち、2010年には悲願の優勝を果たした「笑い飯」。そのメンバーである哲夫さんは、仏教への深い造詣や独特の哲学的ボケで知られる唯一無二の芸人です。

 

現在は西田幸治さんとコンビを組んでいますが、実は笑い飯を結成する前には別の相方と活動していました。その相方とは、後に「プラス・マイナス」として大活躍した兼光タカシさんです。ファンの間では伝説となっている元コンビ「スキヤキ」とはどのようなグループだったのでしょうか。

 

この記事では、笑い飯 哲夫さんの前の相方である兼光タカシさんとの出会いや、コンビ解散の真相、そして現在の二人の関係性について、お笑いファンの視点で深く掘り下げて解説します。若手時代の苦労や笑い飯誕生の秘話を知ることで、彼らの漫才がより一層面白く感じられるはずです。

 

笑い飯 哲夫の前の相方は誰?元プラス・マイナス兼光タカシとの過去

 

笑い飯の哲夫さんがかつて組んでいた相方は、元プラス・マイナスの兼光タカシさんです。お笑い界でもトップクラスの漫才師として知られる二人が、かつて同じコンビだった事実は、今となっては驚きの豪華な組み合わせと言えます。

 

哲夫の最初の相方、兼光タカシとはどんな人物か

哲夫さんの前の相方である兼光タカシさんは、かつて吉本興業に所属していたお笑いコンビ「プラス・マイナス」のボケ担当として知られています。兼光さんといえば、圧倒的な描写力を誇る「モノマネ」の達人としても有名です。

 

特に、巨人のオール阪神・巨人師匠や麒麟の田村裕さん、フリーザ(ドラゴンボール)などのレパートリーは、本人と見紛うほどのクオリティを誇ります。その高い技術力とストイックな芸風は、若手時代から哲夫さんも高く評価していました。

 

現在はピン芸人として活動していますが、その実力は折り紙付きです。哲夫さんのような尖ったセンスを持つ芸人と、兼光さんのような器用で確かな技術を持つ芸人がコンビを組んでいたという事実は、当時の大阪お笑いシーンの層の厚さを物語っています。

 

NSC大阪校18期生として同期で出会った二人

二人の出会いは、吉本興業の芸人養成所である「NSC大阪校」の18期生時代にまで遡ります。18期生といえば、ファミリーレストランや次長課長(東京1期と同期扱い)などが名を連ねる世代です。

 

NSC時代、哲夫さんは本名である「中西哲夫」として入学し、そこで兼光さんと意気投合しました。哲夫さんは当時から独自の笑いの美学を持っており、周りとは一線を画す存在感を放っていたと言われています。

 

一方の兼光さんも、高い演技力と器用さで講師陣からも注目される存在でした。そんな二人が、互いの才能を認め合う形でコンビを結成するのは、当時のNSC内でも自然な流れだったのかもしれません。

 

【豆知識】NSC大阪18期生の主な顔ぶれ
・ファミリーレストラン(旧:ジャンクション)
・お〜い!久馬(ザ・プラン9)
・市井訓彦(西田さんの前の相方)
哲夫さんと兼光さんだけでなく、後の笑い飯の相方となる西田さんの当時の相方も同期でした。非常に濃いメンバーが集まった世代と言えます。

 

元コンビ「スキヤキ」結成のきっかけ

哲夫さんと兼光さんが結成したコンビ名は「スキヤキ」です。この名前の由来は諸説ありますが、当時の若手芸人らしいシンプルで覚えやすい響きが特徴でした。1996年頃に結成され、大阪のライブハウスを中心に活動を開始します。

 

結成当初のスタイルは、現在のようなダブルボケではなく、哲夫さんがボケで兼光さんがツッコミという、比較的オーソドックスな形だったと言われています。しかし、そこは哲夫さんのセンスが光るネタが多く、単なるベタな漫才ではありませんでした。

 

兼光さんの正確なツッコミがあるからこそ、哲夫さんの突飛なボケが生きるという構図は、当時の劇場関係者からも高く評価されていました。二人の相性は決して悪くなく、むしろ期待の若手として順調なスタートを切ったのです。

 

若手時代の伝説コンビ「スキヤキ」結成と当時の驚くべき評価

 

コンビ「スキヤキ」は、当時の大阪若手お笑い界において、非常に高い期待を寄せられていた存在でした。後の笑い飯で見せる狂気的なボケの片鱗は、すでにこの頃から現れていたと言います。

 

スキヤキ時代のネタと哲夫が担当していた役割

スキヤキにおける哲夫さんの役割は、主にネタ作りとボケでした。現在の笑い飯では西田さんと二人でネタを練り上げていますが、スキヤキ時代は哲夫さんの世界観がよりストレートに反映されていたようです。

 

哲夫さんは当時から「他人がやらないボケ」を追求しており、観客が予想もつかない角度からの笑いを提供していました。これに対し、兼光さんはその卓越した発声と間合いで、哲夫さんの難解なボケを観客に分かりやすく「翻訳」する役割を担っていました。

 

このバランスが絶妙で、スキヤキの漫才は玄人好みでありながら、しっかりと笑いを取れる完成度の高いものでした。哲夫さんの創造性と、兼光さんの技術力の融合が、スキヤキの武器だったのです。

 

若手賞レースで注目を集めた当時の実績

スキヤキの実力は本物で、当時の若手芸人の登竜門とされる賞レースでも結果を残していました。例えば、1998年には「ABCおわらい新人グランプリ」の審査員特別賞を受賞するなど、確かな足跡を刻んでいます。

 

大阪の若手芸人が競い合う「baseよしもと」のオーディションライブでも常に上位にランクインし、早い段階で1軍メンバーとしての地位を確立していました。当時のファンからは「次世代のスター候補」として熱い視線を浴びていたのです。

 

哲夫さん自身も、この頃から「漫才で飯を食っていく」という強い自負を持っていたといいます。賞レースでの評価は、彼らにとって大きな自信となり、さらなる高みを目指す原動力となっていました。

 

【スキヤキの実績まとめ】
・1998年:第19回ABCおわらい新人グランプリ 審査員特別賞
・1999年:NHK上方漫才コンテスト 本選進出
・当時のbaseよしもとにおいて主力メンバーとして活躍
解散したことが惜しまれるほど、当時の戦績は華々しいものでした。

 

後のM-1チャンピオン、ブラックマヨネーズらとの切磋琢磨

スキヤキが活動していた時期の大阪には、後のM-1グランプリを制覇する猛者たちがひしめき合っていました。ブラックマヨネーズ、フットボールアワー、チュートリアルといった面々が同期や近い世代にいたのです。

 

哲夫さんはこうしたライバルたちを間近で見ながら、「どうすれば彼らに勝てるか」「自分たちにしかできない漫才とは何か」を常に模索していました。兼光さんもまた、周囲のレベルの高さに刺激を受け、自身の芸を磨き続けていました。

 

この時代の大阪若手シーンは、まさに黄金時代とも呼べる熱気に包まれていました。スキヤキはその中心に身を置きながら、独自のスタイルを確立しようと日々戦っていたのです。この時の経験が、後の笑い飯の「泥臭くもストイックな芸風」の礎になったと言えるでしょう。

 

哲夫が前の相方・兼光タカシと解散を決意した「笑い飯」結成の裏側

 

順調に見えたスキヤキでしたが、2000年に突如として解散の道を選びます。その背景には、哲夫さんが抱いていた「漫才への究極の理想」と、現在の相方である西田幸治さんとの衝撃的な出会いがありました。

 

西田幸治(笑い飯)との出会いと当時の二人の状況

哲夫さんが運命の相手、西田幸治さんと出会ったのは、お笑いライブの楽屋や舞台裏でした。当時の西田さんは「たちくらみ」というコンビを組んでおり、哲夫さんと同じく18期生として活動していました。

 

哲夫さんは、西田さんの持つ独特の「不気味な面白さ」と、予測不可能なボケのセンスに強く惹かれていきました。二人は次第に親交を深め、お笑いについて朝まで語り合う仲になったといいます。

 

お互いのコンビがそれぞれ問題を抱えていたわけではありませんでしたが、二人で話しているうちに「この二人ならもっとすごいことができるのではないか」という予感が、確信へと変わっていったのです。

 

兼光との漫才に感じていた違和感と葛藤

スキヤキとしての活動が充実する一方で、哲夫さんの頭の中には、ある「違和感」が芽生え始めていました。それは、従来の「ボケとツッコミ」という役割分担そのものに対する疑問でした。

 

哲夫さんは、ボケが一方的にボケ続け、それをツッコミが正すという形式に限界を感じていたのです。もっと自由で、もっと破壊力のある漫才を作りたいという欲求が、日増しに強まっていました。

 

兼光さんのツッコミは完璧でしたが、それはあくまで「伝統的な漫才の枠内」での完璧さでした。哲夫さんが求めていた「新しい笑いの発明」を実現するためには、自分と同じ熱量でボケ倒せるパートナーが必要だったのです。

 

【哲夫の本音】
哲夫さんは後にインタビューなどで、「兼光は本当に上手かった。でも、自分がやりたい『めちゃくちゃな笑い』をやるには、上手すぎたのかもしれない」といった趣旨の発言をしています。技術の高さゆえのミスマッチが、解散の種となったようです。

 

哲夫を引き抜いた?西田からの衝撃的な誘い文句

解散の決定打となったのは、西田さんからのストレートな誘いでした。当時、西田さんも自分のコンビを解散させ、新しい道を模索していました。そしてある日、哲夫さんに対してこう言い放ったのです。

 

「俺と組んだら、もっと面白くなれると思わへんか?」

 

この言葉は、哲夫さんの心に深く突き刺さりました。哲夫さんは当時まだスキヤキとして活動中でしたが、西田さんの才能に賭けてみたいという思いが抑えきれなくなりました。そして、苦渋の決断として兼光さんに解散を切り出したのです。

 

引き抜かれたという形に近い解散劇でしたが、それだけ哲夫さんと西田さんの間には、他人が入り込めないほどの強い共鳴があったと言えます。こうして、お笑い界に革命を起こすコンビ「笑い飯」が誕生することとなりました。

 

現在の関係性は?哲夫と兼光タカシが今も語り合う絆

 

コンビを解消し、別の道を歩むことになった哲夫さんと兼光さん。一時は気まずい時期もあったかもしれませんが、現在の二人はお互いの実力を認め合う、非常に良好な関係を築いています。

 

兼光が語る「哲夫という天才へのリスペクト」

解散後、兼光さんは岩橋良昌さんと「プラス・マイナス」を結成し、再びスターダムを駆け上がりました。しかし、そんな中でも兼光さんは事あるごとに、かつての相方である哲夫さんの名前を出してリスペクトを語っています。

 

兼光さんは「哲夫さんは当時から天才だった。あの発想には一生勝てないと思った」と回顧しています。また、哲夫さんが笑い飯としてM-1で活躍する姿を、誰よりも応援していたのも兼光さんでした。

 

自分を置いて去っていった相方を恨むのではなく、その才能が世に認められることを喜べる兼光さんの度量の広さが伺えます。哲夫さんもまた、兼光さんのモノマネの技術や漫才への真摯な姿勢を、今でも高く評価しています。

 

バラエティ番組での共演と当時の思い出話

近年では、テレビ番組やネット配信番組で二人が共演する姿も見られます。例えば、お笑い芸人の過去を深掘りするトーク番組などでは、スキヤキ時代の秘蔵エピソードが披露されることもあります。

 

共演時の二人は非常に楽しげで、まるで学生時代に戻ったかのようなリラックスした表情を見せています。哲夫さんが兼光さんのモノマネに爆笑したり、兼光さんが哲夫さんの仏教トークにツッコミを入れたりと、元コンビならではの阿吽の呼吸は健在です。

 

「あの時、なんで解散したんやったっけ?」といった冗談交じりのやり取りができるのも、現在の二人がそれぞれ芸人として確固たる地位を築き、過去を笑い話にできるようになった証拠と言えるでしょう。

 

【注目の共演エピソード】
かつて放送された番組で、笑い飯とプラス・マイナスが共演した際、哲夫さんと兼光さんが即興で「元スキヤキ」として漫才を披露する一幕がありました。わずか数分のやり取りでしたが、二人のブランクを感じさせないキレのある掛け合いに、共演者からも驚嘆の声が上がっていました。

 

プラス・マイナス解散後の兼光へ向けられた哲夫の想い

2024年、兼光さんのコンビであったプラス・マイナスは、相方である岩橋さんの引退に伴い、突然の解散という結末を迎えました。この衝撃的なニュースに対し、哲夫さんがどのような言葉をかけたかは公にはされていません。

 

しかし、同じく「解散」の痛みを経験し、長年切磋琢磨してきた哲夫さんにとって、兼光さんの状況は他人事ではなかったはずです。兼光さんがピン芸人として再スタートを切る際、多くの芸人仲間がエールを送りましたが、そこには哲夫さんの無言の励ましもあったと推察されます。

 

どんな困難があっても芸を磨き続ける兼光さんの姿は、かつて一緒に夢を追った哲夫さんにとっても誇らしいものに違いありません。形は変わっても、二人の間にある「戦友」としての絆は、これからも続いていくことでしょう。

 

相方・西田幸治との運命的な合流とダブルボケの誕生

 

哲夫さんが兼光さんとの別れを選んでまで結成した笑い飯。彼らが成し遂げた最大の功績は、それまでの漫才の常識を根底から覆す「ダブルボケ」スタイルの確立でした。

 

「ライス」と「スキヤキ」の解散が重なった奇跡

笑い飯が誕生した2000年は、奇しくも哲夫さんの「スキヤキ」と、西田さんの「たちくらみ」がほぼ同時期に活動の限界を迎えていたタイミングでした。この偶然がなければ、今の笑い飯は存在しなかったかもしれません。

 

お互いに「新しいお笑いを作りたい」というフラストレーションを溜めていた時期に出会ったことは、まさに運命的でした。彼らは結成してすぐに、今までにない形式の漫才を作り始めます。

 

西田さんは後に、「哲夫となら、教科書に載っているような漫才ではなく、自分たちが本当に面白いと思うことだけを追求できると思った」と語っています。互いのコンビを解消してまで手に入れた自由が、笑い飯の独創性を生んだのです。

 

常識を覆した「交互にボケる」スタイルの構築

笑い飯の代名詞といえば、ボケとツッコミが入れ替わり立ち替わり現れる、いわゆる「ダブルボケ」です。しかし、最初からこの形が完成していたわけではありませんでした。

 

当初は試行錯誤の連続でしたが、哲夫さんの「一人がボケ続けている間、もう一人は何もしないのはもったいない」という合理的な考えと、西田さんの「自分もボケたい」という欲求が合致し、あのスタイルが生まれました。

 

一人がボケ、もう一人がツッコむ。しかし次の瞬間には、ツッコミだった方がボケに回り、さっきまでボケていた方がツッコミを入れる。この「笑いの増幅」こそが、哲夫さんが兼光さんとのオーソドックスな漫才では辿り着けなかった境地だったのです。

 

【笑い飯スタイルの衝撃】
・ボケの回数が従来の漫才の約2倍
・ツッコミがボケを否定するのではなく、さらなるボケで上書きする
・観客はどちらがボケなのか分からなくなる「カオスな笑い」
このスタイルは、M-1グランプリの審査員であった島田紳助さんからも「漫才の歴史を変えた」と絶賛されました。

 

二人の前の相方たちが歩んだそれぞれの道

哲夫さんの前の相方である兼光さんだけでなく、西田さんの前の相方であった市井訓彦さんも、それぞれの人生を歩んでいます。市井さんは芸人を引退し、現在はクリエイティブな分野で活躍されているという話もあります。

 

笑い飯という伝説のコンビの影には、彼らを支え、時に刺激を与え、そして別の道を選んだ元相方たちの存在が不可欠でした。彼らとの活動期間があったからこそ、哲夫さんも西田さんも「自分たちが真に組むべき相手」を見極めることができたのです。

 

過去のコンビを否定するのではなく、そこでの経験を全て糧にして、笑い飯は今の地位を築き上げました。前の相方たちとの物語も含めて、笑い飯というコンビの魅力は形成されていると言えるでしょう。

 

笑い飯 哲夫と前の相方にまつわるエピソードまとめ

 

笑い飯の哲夫さんが歩んできた芸人人生において、前の相方である兼光タカシさんの存在は欠かすことのできない重要なピースです。最後に、この記事で紹介した内容を簡潔にまとめます。

 

まず、哲夫さんの前の相方は、元プラス・マイナスの兼光タカシさんであり、二人はNSC18期の同期としてコンビ「スキヤキ」を組んでいました。スキヤキは当時の若手賞レースでも結果を残すほどの実力派コンビで、将来を嘱望されていました。

 

しかし、哲夫さんが現在の相方である西田幸治さんと出会い、従来のボケ・ツッコミの枠を超えた「新しい笑い」を追求したいという強い思いを抱いたことで、スキヤキは解散。その後、笑い飯が誕生し、漫才界に革命を起こすことになります。

 

現在、哲夫さんと兼光さんはお互いをリスペクトし合う戦友のような関係であり、テレビでの共演時には今でも息の合ったやり取りを見せてくれます。かつてのコンビ解消は悲しい出来事でしたが、その決断があったからこそ、私たちは「笑い飯」と「プラス・マイナス」という二つの素晴らしい才能を楽しむことができたのです。

 

哲夫さんの独特な世界観のルーツには、若き日に兼光さんと切磋琢磨した「スキヤキ」の時代が確かに息づいています。これからも、それぞれの場所で笑いを追求し続ける二人の活躍から目が離せません。